カンフー映画の巨匠ラウ・カーリョンが死去、「正統派」めぐってジャッキーとトラブルも―香港

Record China    2013年6月26日(水) 15時12分

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25日、香港カンフー映画界の巨匠で、「少林寺三十六房」「酔拳3」などで知られるラウ・カーリョン監督が、肺炎のため香港の病院で亡くなった。享年79歳。

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2013年6月25日、香港カンフー映画界の巨匠で、「少林寺三十六房」「酔拳3」などで知られるラウ・カーリョン(劉家良)監督が、肺炎のため香港の病院で亡くなった。享年79歳。新浪網が伝えた。

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自身も武術家であり、カンフー映画の俳優出身であるラウ監督。1995年にリンパ腫を患っていることを公表していたが、25日午前、入院先の香港の病院で肺炎のため息を引き取った。

武術一家の出身。父親の劉湛(ラウ・チャム)さんは、「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ」シリーズでも映画化された伝説的な武術家、ウォン・フェイホン(黄飛鴻)の孫弟子。ラウ監督も幼少時から父親の手ほどきを受け、正統派のカンフー継承者として知られる。1950年に映画界入りし、65年の映画「雲海玉弓縁」をきっかけに映画会社ショウ・ブラザーズ(邵氏兄弟)に迎えられ、75年に「マジッククンフー 神打拳」で監督デビュー。アクション指導としては、「マトリックス」などのハリウッド映画にも起用されているユエン・ウーピン(袁和平)監督と並び称される手腕の持ち主だった。

94年の「酔拳2」では、主演のジャッキー・チェンとの間で意見の違いが発生し、途中降板するというトラブルも話題に。当時すでにハリウッド進出していたジャッキーの作品としては、「カンフーアクションが古臭い」との見解でトラブルに発展したと言われる。しかし、正統派カンフーを好む映画ファンからは、高い評価を得ている監督の1人だった。

自身の監督作品としては、2003年の「超酔拳」が最後。07年のツイ・ハーク徐克)監督「セブンソード」で、武術指導および俳優として参加したのが、映画界における最後の作品となった。なお、10年の第29回香港金像奨では、「終身監督賞」を受賞している。(翻訳・編集/Mathilda

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