日中関係、「本流は常に友好」麻生発言は史実に太刀打ちできない―中国専門家

Record China    2013年5月17日(金) 13時36分

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16日、人民日報(電子版)は、麻生太郎副総理のインド訪問時の発言について、清華大学現代国際関係研究院の劉江永副院長が書いた文章を掲載した。写真は2009年、北京で開かれた日中の企業家交流イベントで演説する麻生氏。

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2013年5月16日、人民日報(電子版)は、麻生太郎副総理のインド訪問時の発言について、清華大学現代国際関係研究院の劉江永(リウ・ジアンヨン)副院長が書いた文章を掲載した。以下はその内容。

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日本の麻生太郎副総理はインド訪問時「日本は海上で中国と隣り合い、インドは陸上で中国と国境を接しているが、われわれは過去1500年以上の歴史において、中国との関係が極めてスムーズにいったことはない」と主張した。

麻生氏のこの発言は耳障りに聞こえる。「日中関係が現在うまくいっていないからといって、大したことはない。1500年以上にわたりそんなに良好なことはなかったのだから。だからインドも中国に警戒すべきだ」というのが言外の意味だ。麻生氏の誤った発言は史実に反しており、全く成立しえない。

中国と日本は一衣帯水の隣人だ。中日両国人民の友好的交流は2000年以上綿々と続いており、世界の民族交流史上の奇跡と呼ぶことができる。秦・漢以降、稲作、桑栽培、養蚕、紡績、製錬などの生産技術が中国から日本へ相次いで伝えられ、日本は漢字、儒学、仏教、法令制度、芸術も吸収し、参考にした。中日両国人民の相互学習、相互参考、相互融合は各々の国の発展と進歩を促し、東アジアおよび世界の文明を豊かにした。中国で永眠した遣唐留学生の阿倍仲麻呂、日本に渡り帰国することのなかった鑑真和尚。友好の美談は現在にまで伝えられている。

1992年10月、日本の明仁天皇は訪中時「貴国と我が国の交流の歴史は古く、特に7世紀から9世紀にかけて行われた遣隋使、遣唐使の派遣を通じ、我が国の留学生は長年中国に滞在し、熱心に中国の文化を学びました。両国の交流は古い時代から長い間平和裡に続きました。我が国民は長年にわたり貴国の文化に対し深い敬意と親近感を抱いてきました」「しかしこの両国の関係の永きにわたる歴史において、我が国が中国国民に対し多大の苦難を与えた不幸な一時期がありました。これは私の深く悲しみとするところであります。戦争が終わった時、我が国民はこのような戦争を再び繰り返してはならないとの深い反省にたち、平和国家としての道を歩むことを固く決意して、国の再建に取り組みました」と表明した。

2000年余りの中日関係について、中国の文豪・郭沫若(グオ・モールオ)はかつて「歳月二千年の玉帛 春秋八十年の干戈」と記した。このように計算すると、中日両国は平和共存した期間がおよそ96%を占める。

西暦663年、日本は百済支援のため朝鮮半島に出兵し、白村江で唐・新羅連合軍に敗れた。その後約500年間の長きにわたり、日本と唐朝、宋朝は全体として友好的な交流を保った。だが元末・明初から日本の和冦が大挙して中国沿海地区で騒ぎを起こし始めた。中国は明朝初頭に釣魚島(日本名・尖閣諸島)を、和冦を防ぎ止めるための海防範囲に組み入れた。中国の明朝万暦年間、すなわち西暦1592〜1597年に、豊臣秀吉は2度にわたり朝鮮半島に出兵、侵入した。これは中国占領が目的だったが、中朝連合軍の反撃を受けて完全に失敗した。しかしその対外侵略・拡張思想は後に日本軍国主義によって引き継がれた。

日本は1868年の明治維新後急速に台頭し、帝国主義列強の1つとなった。1874年、日本は中国の台湾に初めて出兵した。1894年、日本は甲午戦争(日清戦争)を発動し、戦争終結を待たずに釣魚島(尖閣諸島)の占有を閣議で秘密決定した。1895年、日本政府は不平等な馬関条約(下関条約)に署名して台湾島及びその付属島嶼を割譲することを清政府に強いた。1945年の日本の敗戦・降伏までの50年間、釣魚島(尖閣諸島)や台湾は日本に植民地支配された。1931年、日本は「九一八事変」(満州事変)を発動し、中国東北部の大々的な侵奪・占拠を開始した。1937年、日本は「七七事変」(盧溝橋事件)を引き起こし、中国全面侵略戦争を発動して、中国人民に深刻な災禍をもたらした。

中日関係は確かに曲折と起伏を経験した。不幸な歴史もあった。これら全ては例外なく、中国に対する敵視政策、詐欺や力ずくの奪取、武力干渉、野蛮な侵略によって日本が一方的にもたらしたものだ。

遺憾なことに麻生氏は日本の侵略戦争発動と植民地支配の歴史に対して正しい認識を持たず、いささかも反省しないだけでなく、傲慢にも逆に中国に不満を抱き、非難している。これは誤った歴史観を露呈するものであり、釣魚島(尖閣諸島)問題で「鶏を盗もうとして果たせず、逆に餌として持っていた一握りの米まで失った」挫折感の発散でもあるようだ。中国を念頭に置いた、さらに大きな「価値観同盟」の構築がその狙いだ。

2000年余りの中日関係史を俯瞰すると、本流は常に友好だった。歴史が何度も証明しているように、日本が平和的発展の道を歩み、日本の指導者が国家責任、政治的知恵、歴史的責任を具体化しさえすれば、両国関係は前向きに発展し続け、両国人民に幸福をもたらす。

国は信頼無くば立たず。日本の政府と指導者は約束を誠実に守り、歴史と現実を直視して、中日関係発展とアジアの平和・安定維持のために賢明な声を発し、正しい事をすべきだ。

だが最近、日本の政界では右傾的発言がやかましく飛び交っている。自民党高市早苗政調会長は「村山談話」の見直しを主張。日本維新の会の党首の1人、橋下徹は「慰安婦制度は当時軍の規律を維持するために必要だった」と公言し、同党のもう1人の党首、石原慎太郎は、日本は「軍事国家」になるべきだとして、核武装について議論することも主張した。

日本の右翼政治屋がこれほど増長しているのは、国内の民族主義感情を煽り立て、7月の参院選勝利に向けてムードを盛り上げ、その後憲法改正に全力を挙げ、束縛を徹底的に打破し、軍事同盟を強化、さらに軍備を整え直し、対外的に武力を誇示することが目的の1つだ。戦後の平和路線に関する国内規則と国際秩序をひとたび打破すれば、日本が将来アジア隣国に一層の危害を加えることは必至と言えよう。(提供/人民網日本語版・翻訳/NA・編集/内山

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