日本語を好きにさせてくれた北川先生、私は一生忘れません―中国人学生

日本僑報社    2018年3月18日(日) 7時0分

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大連外国語大学の張文輝さんはアニメが好きで日本語を学び始めたが、当初はそれほど真剣に学んではなかったそうだ。しかし、ある日本人の先生の情熱に心打たれ、心境に変化が生じたという。資料写真。

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中国の学生が日本語を学ぶきっかけはさまざま。大連外国語大学の張文輝さんはアニメが好きで日本語を学び始めたが、当初はそれほど真剣に学んではなかったそうだ。しかし、ある日本人の先生の情熱に心打たれ、心境に変化が生じたという。以下は張さんの作文。

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北川先生は大学の4年間、日本語を教えてくれた先生です。ボブのヘアスタイルで、40歳ぐらいのやせた女性です。先生は朗らかな性格で、面白い話をするのがとても好きです。しかも、面白い話をすると、つい興奮して、自分で大笑いしてしまいます。

先生は大変教育に情熱を持っている人です。先生が教えてくれたのは、日本語だけではありませんでした。寿司の作り方、浴衣の着方から、日本の孤独死問題、裁判員制度まで、あらゆる面で日本を教えてくれました。私たちは、たまに授業で演劇をさせてもらいます。グループ分けして、教科書で勉強した文法を使って、台本を書いて演じます。私が初めて演じたキャストが家族のおばあちゃんだったことを今でも覚えています。先生の授業がすごく面白いので、私たちはいつも先生の授業を楽しみにしていました。

私たちの日本語を上達させるため、先生は授業の時間だけではなく、休みの時間も全部私たちにくれました。週末は自宅に誘ってくれて、食事をしながら、面白い話に花が咲きました。先生が作ってくれた料理はいつもカレーでした。先生の話によると、カレーは「ばかの一つ覚え」です。でも、心を込めたカレーは本当においしかったです。話の内容は、AKB48の誰が一番好きとか、なぜ日本の十二支の「猪」は中国では「豚」なのかとか、けっこう幅が広かったです。

私たちが卒業するその年、先生も中国を去ることになりました。帰国する前に、日用品を日本に郵送することになりました。先生は手続きが多くて、自分の中国語では聞き取れないのではないかと思って、私を誘って一緒に郵便局へ行きました。段ボールを閉じる前に、中身をチェックしなければなりません。段ボールを開けると、普段着と何冊かの本しかないことに気付きました。よく見れば、一番上に置いた本は授業で使った教科書ではないですか。なぜ他のものを捨てて、使い終えた本を選んだのかと疑問を抱きました。今考えれば、記念として送ったのではないでしょうか。先生が中国にいた4年間の記憶や、自分の仕事に対する情熱がすべてこれらの本に刻まれているのでしょう。

実は、大学入学試験のとき、私は日本のアニメが好きなので、日本語科を選びました。その時は、日本語はただコミュニケーションの道具みたいなもので、将来就職しても日本語関係の仕事をするとは限らないので、いい加減に勉強すればいいと思っていました。日本語の予習と復習は一切しませんでした。先生の授業を受けて初めて、日本語の面白さを知りました。日本の文化にも興味を持つようになりました。大学3年生の時は、もっと日本語を勉強したいと思って、大学院入学試験を準備し始めました。今年、もうすぐ大学院を卒業しますが、就職すれば、必ず日本語関係の仕事をしようと思っています。なぜ自分がこれほど日本語に執着するかという理由は、たぶん、先生の情熱に感動したからだと思います。

私は先生のことを一生忘れません。先生がいろいろ教えてくれたおかげで、私は日本語が好きになりました。(編集/北田

※本文は、第十二回中国人の日本語作文コンクール受賞作品集「訪日中国人『爆買い』以外にできること」(段躍中編、日本僑報社、2016年)より、張文輝さん(大連外国語大学)の作品「私を変えた、日本語教師の教え」を編集したものです。文中の表現は基本的に原文のまま記載しています。なお、作文は日本僑報社の許可を得て掲載しています。

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