「世代の障壁」に直面する日中の相互信頼、その行方は?

環球網    2017年12月29日(金) 16時30分

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杏林大学大学院教授である劉迪氏は27日、「『世代の障壁』に直面する日中の相互信頼、その行方は?」と題する文章を発表した。資料写真。

杏林大学大学院教授である劉迪氏は27日、「『世代の障壁』に直面する日中の相互信頼、その行方は?」と題する文章を発表した。日中協会理事長の白西紳一郎氏が10月、77歳で亡くなり、人々から惜しまれている。ここ数年、日中関係が悪化しているにもかかわらず、彼はいつも日中友好のために活躍していた。今日、中国にせよ、日本にせよ、白西氏のような役割を果たす人を必要としている。今日そして今後、白西氏ら開拓者の遺志をどのように理解して受け継ぐのか、われわれは注意して取り組んでいく必要がある。環球時報が27日付で伝えた。

日中の国交が正常化するまで、日中両国は友好団体によって結ばれていた。日中友好運動は党派やイデオロギーを超える国民的な運動となった。そのためこの運動は長い間、日本社会に根を下ろすことができた。あの時代、日本人の間には一般的に「日中はもう二度と戦わない」という素朴な理念があった。この信念は日中友好運動を進める最も基本的な原則であり、両国および国際社会にとっても神聖なる原則だ。

現在の日中両国にはいずれも1950年代のカリスマ的な民間運動のリーダーが不足している。あの時代、東京と北京の間を往復するだけで数日間もかかったが、それらの民間リーダーは骨身を惜しまないで両国に友好の橋を架けようとしていた。1972年以降、日中両国は四つの文書に調印したが、以前に比べ両国の関係は悪化するようになっている。われわれは日中友好を文書に留めるだけでなく、実際の行動を取るべきである。

日中の相互理解は情熱をもって使命を尽くす人々と深く関わっている。1980年代、訪中した3000人の日本の青年がもたらした感動は今でも日本社会に残っている。当時彼らをもてなした中国側の人々もそれぞれの分野において、日中交流に貢献していた。現在、30年ほど前の感動をどのように取り戻すのか。日中友好のために、どのようにすれば情熱あふれる若い世代を育成できるのだろう。

1990年代以降、日中の経済関係が急速に発展してきた。しかし、日中友好の開拓者が相次いで亡くなり、日中の相互信頼は「世代の障壁」に直面するようになった。

今日の日中交流は、民間が政府の一歩先を行っている。数多くの中国人が来日し、彼らは観光を目的とするだけでなく、日本の文化体験や日本人との交流も望んでいる。交流は常に双方向のものであり、いかにして観光と日中理解の促進を結びつけ、低迷する日本人の訪中観光を推進するのか。これは両国の共同課題である。

両国対立の背景にはナショナリズムの要因が存在している。ナショナリズムを消し去ることができなくても、その存在を認めた上で、マイナスの影響を超えるべきである。1950年代、中国は政治的な観点を問わず、多くの日本人を中国に招いた。こうした交流は今になっても受け継ぐ価値がある。交流ルートが不足した時代に、両国は交流機構を設立した。これらの機構は現在、新しい位置付けを模索し続けている。より多くの若者を引き寄せることこそ、いつになっても活力を保つ力なのだろう。

日中政府は共に青少年の交流を重要視しており、特別費用を支給している。この交流は現在、民間機構に委託されることが多い。いかにしてこの交流プロジェクトを持続的な民間交流の制度に転換させるのか。また、この交流を高校に拡大し、留学制度に変えるとどうだろう。

数年前、早稲田大学の教授だった依田憙家氏は「日中友好大学」の建設を提案し、大きな反響を引き起こした。筆者が周囲の日本人教授にこの提案を話すと、同じく熱烈な反応があった。来年は日中平和友好条約締結40周年である。この条約が調印された後、2世代の人々がすでに成長してきた。今後、平和を両国の代々が受け継いでいくのに人材は不可欠な要素である。このため、両国は日中やアジアのために、「アジア平和大学」を建設してはどうだろう。(提供/環球網・編集/インナ)

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