<コラム>日本人が「おかしい」と感じる、韓国の新年のあいさつ

木口 政樹    2018年1月7日(日) 15時20分

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こちら韓国の新年は2回ある。新正月と旧正月だ。今年の場合は、旧正月は2月16日である。陰暦の1月1日にあたるわけだ。資料写真。

こちら韓国の新年は2回ある。新正月と旧正月だ。今年の場合、旧正月は2月16日である。陰暦の1月1日にあたるわけだ。

パク・チョンヒ(朴正熙)大統領の時代に、旧正月をなくして新正月一本でいこうという政策をやろうとしたが、失敗におわったということだ。

政府はそのように主導しようとしたけれど、国民の心情がついていかなかったのである。何百年、何千年と続いてきた風習を変えることはそう簡単ではないということであろう。一旦は旧正月をなくして新正月を3日休むことにしたがこれが駄目だったので、旧正月を2日休んで新正月も2日休むという時期もあったりして、現在の新正月は1日だけ休み、旧正月は3日の連休という形に収まったようだ。

筆者が韓国に来てからも新正月と旧正月の休みの日数が変動したなという記憶がある。2日と2日から1日と3日への変化だったのだろう。あれあれという気持ちはあったけれど、あんまり関心がなかったためはっきりとは覚えていない。それまでにも国民の祝日つまり赤い日が突然黒い日つまり休みでない日に変わるということは結構たびたびあったので、正月の扱いもこんなふうに変わるんだなというくらいの認識だった。

新正月は1日の休みで旧正月は3日の連休となってどれくらい経つのか、はっきりとは記憶にないけどこのスタイルは15年以上続いているはずだ。たぶん今後もこのスタイルがずっと継続してゆくものと思われる。扱いとしては「新」よりは「旧」の方にウエイトが置かれているのである。

韓国では陰暦が今でもいろいろの面で生きていることを知ることができる。例えば誕生日。わたしの妻も誕生日は陰暦で登録してあり、実際にも陰暦で誕生日を祝っている。毎年毎年その日は変わるから、かなり注意していないと忘れてしまう。忘れてしまった日は大変だ。朝起きるといつも「アンニョン」と言ってお互いに抱擁することが慣わしのわが夫婦(ちょっと恥ずかしいけど)。いつものように抱擁するがなんとなく様子が変だ。わたしはまだ気づかない。数時間経って気づいたときには後の祭りだ。その日の晩御飯はご飯と味噌汁の2点。おかずなし。プラス妻の小言をえんえんと聞かされることになる。

彼女の誕生日は陰暦の8月22日でこれはもちろん固定しているけれど、その年の新暦での日にちが違ってくるわけだ。だいたいは9月の何日かになる。遅いときは10月に食い込むこともある。わたしの誕生日は10月13日だけれど、これより遅くなることはない。

2013年だったかに、一度だけ誕生日が重なったことがあった。つまり陰暦の8月22日が新暦の10月13日にかぶったわけだ。ハレー彗星が数十年の歳月をかけてまた地球に大接近するような感覚だった。わたしたち夫婦の誕生日がかぶることは今後生きている間にあるかどうかわからない。なのでかなり重要な日だったのだが、現実にその日を迎えてみるとおもしろいことに何もやることがないのである。

これはわれわれ夫婦の性格のなせるわざなのかもしれないけれど、特別に何かやるということはなく、夜静かにワインなどを傾けながら普段の日と変わらない時間を過ごすことになった。「誕生日、おめでと」「あなたも、おめでと」こんな会話をしたようなしなかったような。一生に一度あるかないかわからないような重要な日なのだったけれど、その日は平素と変わらない普通の日となったのである。

本題からまた外れてしまった。こちらの正月の話だった。上述したように正月が「2回」あるため、新年の挨拶も2回することになる。この新年の挨拶のことばがおもしろい。「新年、福をたくさんいただいてください」というのである。これはもちろん直訳である。

意訳すれば「新年のご多幸をお祈りいたします」といった感じだ。日本は「明けましておめでとうございます」。新年が明けてお目出度いですねという意味だ。何が目出度いの?新年を迎えられたことが目出度いという意味であろう。日本語の表現はこの挨拶のことばにも見られるように、どちらかというと間接的でありおしとやかで漠然としていて当たりさわりのない表現が多い。

朝起きたときは「おはようございます」だ。これは意味的には単に「早いですね」ということで、意味がないといったらなんだけど、さしあたりのところ具体的な意味はない。韓国語の場合は「よく寝られましたか」というように具体的でダイレクトだ。

誰かを家に招待しておいしいご馳走を出すときも、日本だったら「なにもありませんけど、さあ、どうぞ」と極めておしとやかでスタティック(静的)な感じだ。対して韓国は「たくさん召し上がってください」とか「おいしく召し上がってください」というようにダイナミックかつダイレクトそのもの。

新年を迎えたときにも「福をたくさんいただいてください」と挨拶し、旧正月のときにも同じように挨拶する。相手に「福」をたくさんいただいてくださいと言うわけだから、何度言ってもバチ当たりではないのだが、日本人としてはさすがに2度目のときにはなんとなく気が引けるというか声がおのずと小さくなってしまうというか。2カ月前にもこれで挨拶したよな、という気持ちがまだまだ心の中に残っているわけなので同じことばを繰り返すことになんとなくおかしさというか間の悪さというかどこかこそばゆいものを感じてしまうのである。

それでも韓国生活30年の「ベテラン」としては、福をたくさんもらって元気で楽しい1年になってねという気持ちで大きい声で言うようにしている。読者の皆さんも今年1年、元気で楽しく。「福をたくさんいただいてください」。

■筆者プロフィール:木口政樹

イザベラ・バードが理想郷と呼んだ山形県米沢市出身。1988年渡韓し慶州の女性と結婚。三星(サムスン)人力開発院日本語科教授を経て白石大学校教授(2002年〜現在)。趣味はサッカーボールのリフティング、クラシックギター、山歩きなど。

■筆者プロフィール:木口 政樹

イザベラ・バードが理想郷と呼んだ山形県・米沢市出身。1988年渡韓し慶州の女性と結婚。元三星(サムスン)人力開発院日本語科教授、元白石大学校教授。趣味はサッカーボールのリフティング、クラシックギター、山歩きなど。著書に『おしょうしな韓国』、『アンニョンお隣さん』など。まぐまぐ大賞2016でコラム部門4位に選ばれた。

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