<在日中国人のブログ>私が知り合った、「2000年の神秘の国」を世に知らしめた日本の和尚

配信日時:2019年4月20日(土) 21時20分
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私が初めて小島さんにお会いしたのは2018年秋だった。私の会社は、ニュース番組向けの撮影業務も行っている。私は取材の現場に行って初めて、取材される人が小島さんと知った。私が、シルクロードを紹介するテレビ番組の撮影した際のエピソードを話すと、小島さんはとても意外だったようだ。その年はちょうど、ニヤ遺跡調査開始30周年で、中国では新疆博物館で記念行事として「ニヤ・考古・物語――中日ニヤ考古30周年成果展」が開催され、日本では「中国新疆36周年国際協力実録」が出版された。同書はニヤ調査のきっかけとなったキジル千仏洞の修復保護活動と、ニヤ学術調査に続く活動と言える日中ダンダンウィリク遺跡調査、および新疆の文化財などについて紹介している。同書は小島さんが1982年以来続けてきた、国際協力活動の実録だ。

私は小島さんから送られてきた「中国新疆36周年国際協力実録」を読もうとした。その時、便箋が同封されていることに気づいた。便箋には「私の妻は校正を手伝ってくれたのですが、その時に妻は『あなたも76歳になったのですから、これが最後の出版になるでしょうね』と言いました。たとえそうであっても、私はこれまで通りに社会のために微力を尽くしたいと思います。私の遺骨は新疆のタクラマカン大砂漠に埋めてほしいと思います」と書かれていた。



読み終えてから長い間、いろいろと考えてしまった。人として、どのように生きれば、その人生に意義があったと言えるのだろうか。だれでも、物心がついてからこの問題を考えたことがあるはずだ。結論は人それぞれだ。そして小島さんは、自分の行動で回答を出した。彼は自分の生きている時間を用いて社会にできるだけ多くの貢献をしようと務めてきた。自らができる限りの努力をすることで、自らの人生の価値を実現したということだ。

よく「悠久の歴史」などという言い方をする。しかし、長い時間が経過するだけで歴史が作られるわけではない。その時代、その時代を生きた人が、決して長いとは言えない自分の生涯を使って、それまであった歴史に何かをつけ加えていく。そんな「人の営み」があってこそ、歴史は作られていく。小島さんの生き方に触れて、そんなことも考えてしまった。

■筆者プロフィール:呂 厳
4人家族の長男として文化大革命終了直前の中国江蘇省に生まれる。大学卒業まで日本と全く縁のない生活を過ごす。23歳の時に急な事情で来日し、日本の大学院を出たあと、そのまま日本企業に就職。メインはコンサルティング業だが、さまざまな業者の中国事業展開のコーディネートも行っている。1年のうち半分は中国に滞在するほど、日本と中国を行き来している。興味は映画鑑賞。好きな日本映画は小津安二郎監督の『晩春』、今村昌平監督の『楢山節考』など。
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