南京大虐殺記念館が日本軍兵士の手紙公開、狂気と人間性喪失が顕著―中国メディア

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南京大虐殺記念館が、南京攻略戦に参加した日本軍兵士が父親に宛てた手紙(写真)を入手し、その真実性を確認したと発表した。手紙の文面には、侵略者の狂気と人間性の喪失が反映されているという。

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中国メディアの中華網は6日、侵華日軍南京大虐殺遇難同胞記念館(南京大虐殺記念館)が、南京攻略戦に参加した日本軍兵士が1938年1月8日に父親に宛てた手紙を入手し、その真実性を確認したと発表した。手紙の文面には、侵略者の狂気と人間性の喪失が反映されているという。

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南京大虐殺記念館が5日に行った「2025年新収蔵文物史料発表会」では、南京攻略戦に参加した日本軍兵士の手紙が発表された。日本陸軍の国崎支隊歩兵第41連隊の村田芳夫伍長が1938年1月8日に父親に宛てて書いたもので、全4枚が鉛筆で書かれ、部隊が南京を占領した後の虐殺行為と死体処理の状況が描写されていた。手紙には「南京にはとても面白い死刑桟橋(さんばし)があり、毎日日本刀で斬首したり射殺したりして中国の敗残兵や負傷兵を殺し、死体をすべて揚子江に投げ入れて流す。実に痛快だ……」とつづられていた。


江蘇省社会科学院の王衛星研究員は、この手紙は加害者自身が残した犯罪の実録だと述べた。南京大虐殺は37年12月13日から38年1月にかけて発生し、この手紙は38年1月8日に差し出された。王研究員は、村田伍長は「とても面白い」「実に痛快だ」などの表現を用いており、手紙の文面には侵略者の狂気と人間性の喪失が反映されていると指摘した。

南京大虐殺記念館文物部の艾徳林主任は、村田伍長の身元を確認し、所属部隊番号、実家の住所、死亡時期などを含め、この手紙の真実性を確認できたと説明した。まず、封筒に書かれていた情報に基づき、「南京戦史資料集1」の中に国崎支隊の管轄下にある(福山)歩兵第41連隊の関連記録を見つけ、さらに『福山連隊史』(中国篇)という書物にある部隊の37年8月15日から42年11月8日までの死者名簿を見つけた。その中には「村田芳夫」の氏名と住所が記載されており、手紙の宛先の住所と一致していた。この書物には、「村田芳夫」の階級が伍長で、38年4月16日に中国で死亡したことも記載されていたという。


王研究員は、村田伍長の所属部隊は南京大虐殺に加わったと指摘した。南京攻撃の際のこの部隊の任務は、長江北岸から南京を包囲して南京守備軍の退路を断つことだった。部隊は南京占領後に浦口、江心洲などで大規模な虐殺暴行を行った。

この手紙は日本人研究者の渡辺久志氏が所蔵していたものだった。渡辺氏は長期にわたり南京大虐殺の歴史研究に従事しており、友人からこの手紙を受け取って考証を行った。記念館は日本に人を派遣してこの手紙を受け取ったという。(翻訳・編集/如月隼人

※記事中の中国をはじめとする海外メディアの報道部分、およびネットユーザーの投稿部分は、各現地メディアあるいは投稿者個人の見解であり、RecordChinaの立場を代表するものではありません。

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