日本のレジェンドの成功秘話に驚き! でもそれは「必然」だった―中国メディア

Record China    2020年9月5日(土) 20時20分

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中国のサッカー情報を発信するメディア・球叮足球は3日、「日本のレジェンド、応援団から4年で欧州5大リーグにのし上がる」と題する記事を掲載した。

中国のサッカー情報を発信するメディア・球叮足球は3日、「日本のレジェンド、応援団員から4年で欧州5大リーグにのし上がる、来季もチャンピオンズリーグに出場」と題する記事を掲載した。

上記のタイトルで記事が称賛しているのは日本代表DFの長友佑都だ。トルコのガラタサライを退団後、同じ日本代表の酒井宏樹が所属するフランスの名門マルセイユへの加入がこのほど決まった。

記事は、マルセイユへの加入は「長友が再び欧州5大リーグの舞台に足を踏み入れることを意味する」とし、「マルセイユは来季のチャンピオンズリーグ出場も決まっており、そのピッチで長友のパフォーマンスが見られるだろう」とした。また、「長友はイタリアの名門インテル・ミラノでプレーし、クラブ在籍終盤にはキャプテンマークも巻いた。ガラタサライでも主力として活躍、最後の練習では涙を流すほど心血を注いだ」と評した。

その上で、「こうしたキャリアから、彼は非常に傑出したアジアの選手であると言える。しかし信じられるだろうか。長友佑都のサッカー選手としてのキャリアは21歳から始まったのだ」と説明。長友が明治大学のサッカー部に入部した後、椎間板ヘルニアを再発し、1、2年生のころはほとんど試合に出場できずにスタンドで「応援団」として太鼓をたたいていたというエピソードを紹介した。

長友はもともとボランチなどでプレーしていたが、大学時代の指導者にサイドバックにコンバートされ才能を開花させた。2008年に大学在学中にサッカー部を退部しJリーグのFC東京と契約。チームでレギュラーの座を獲得すると、同年5月には日本代表に招集され初出場を果たした。

そして記事は、2010年のワールドカップ(W杯)南アフリカ大会が「長友にとって大きなターニングポイントになった」と説明した。「(同大会での)安定したパフォーマンスは多くの欧州クラブの目を引き付けた」とし、大会後にイタリアのチェゼーナへの移籍を果たしたことに言及。その後、名門インテル・ミラノに移籍し、本田圭佑が所属するACミランとの「ミラノダービー」に出場するまでに上り詰めたことを挙げ、「その4年前、彼はまだ応援団の一員だったのだ」と驚きを持って伝えた。

記事は、「もし日本の大学リーグでの鍛錬や、大学指導者の鋭い観察力がなければ、長友は普通のサラリーマンになっていたかもしれない」とし、「長友のようにあっという間に成功してしまう日本の選手は少なくない。しかしこれは『あっという間の成功』と言うよりも、むしろ日本の学園サッカーが長期的に発展してきたことによる必然的な結果なのだ」と論じている。(翻訳・編集/北田

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