ソフト・パワー事業のあり方について

人民網日本語版    2019年10月9日(水) 15時10分

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ここ数年間、中国では官民ともにソフト・パワーの強化、文化の輸出に力を入れている。国家事業として世界各地に孔子学院の名で中国語学校を建てるなど、「国学」を称する民間の活動が盛んである。

ここ数年間、中国では官民ともにソフト・パワーの強化、文化の輸出に力を入れている。国家事業として世界各地に孔子学院の名で中国語学校を建てるなど、「国学」を称する民間の活動が盛んである。この70年、中国の伝統文化に対する見方は大きく変化し、海外に流出した文化財にも強い関心が注がれている一方で、中国文化を積極的に海外に紹介しようとしている。また街角では、中国の伝統服として「旗袍(チャイナドレス)」ではなく、「漢服」を好んで着る若者をみかけるようになった。これらは、私が10年近く中国に滞在していたなかで目撃した大きな変化の一つである。近年の伝統文化回帰のなかで、私にはハイカルチャー偏重の傾向があるように感じられる。そこで、中国の未来への参考ととして、まず日本の状況ついて私の所感を述べてみたい。(文:浙江工商大学東方語言文化学院副教授・久保輝幸)

「国学」という言葉は、元来日本で江戸時代に漢学と蘭学という2つの外国の学問に対抗する自国の学問という意味でしきりに用いられた。それ以前の日本では漢学が長く正統な学問であって、日本学研究は江戸時代になってようやく漢学に並ぶ地位を得て、国学となった。国学は、日本人の国史や伝統文化に対する自負を高め、「日本人」という民族意識を強化し、国内の割拠状態から天皇を中心とする団結を促すという、明治維新へとつながる一連の運動の起点にもなった。当時の欧州では「歴史」といえば西洋史であり、アジアを進歩がない遅れた地域と見なす傾向があった。そうした欧州中心の歴史観への反発から、日本の初期の大学には西洋史と東洋史が併設された。日本学だけでは西洋に対抗できる学問とは到底なりえないので、東洋史の中核は当然、中国史であった。この東洋史学科の設置が日本の漢学を盛んに研究した一つの要因であり、欧州の歴史学を応用した研究成果として、唐宋変革論などが論じられ、ルネサンスに匹敵する変革が東洋にもあったという見方が出てくるようになった。日露戦争から第一次世界大戦にかけて日本の国際的地位が高まるにつれて、日本人のこの東洋史観は日本に東アジア諸国を束ねて西洋に対抗するという軍事活動の根拠の一つを与えることになったといえるだろう。中国で「国学」が漢学の意味で盛んに使われるようになったのは日本における東洋史の勃興期にあたるので、「国学」という言い方は日本語に由来するという説がある。ただし、仮にそうであったとしても、中国の国学の勃興は日本の国学や東洋史に触発されたというより、西洋との接触が直接の起因だと思われる。

明治維新後、日本では西洋に倣って近代化への道を邁進した。学校教育や標準語の普及による価値観の単一化に加え、文化や社会の西洋化、琉球やアイヌへの圧政、廃仏毀釈などで、日本の社会や文化の多様性の喪失が深刻な問題となった。これは過去の問題ではなく、依然として日本が直面している問題である。明治時代にすでにこうした問題に危機を覚え、日本の伝統文化の保存に尽力した人物として、アイヌ文化の保護などに尽力した松浦武四郎を筆頭に、小泉八雲、井上円了などが挙げられる。その後、大正時代頃に金田一京助ら言語学者や柳田国男ら民俗学者は消えつつあった文化に対する危機感を原動力にして、盛んにフィールド・ワークに出かけ、膨大な記録を残し、それらを学術研究のレベルまで高めた。また隠花植物等の研究で有名な南方熊楠も、日本に止どまらず東アジアの民俗について研究を盛んに行った人物の一人でとして挙げられる。

これらのサブカルチャー研究の成果は世代を越え様々な形で影響を与えることになった。日本に少しでも関心のある人ならば、日本人論の古典的名著『菊と刀』を読んだことがあるかもしれない。著者であるルース・ベネディクトは一度も日本を訪れることはなかったが、それでも日本人の生活ぶりを知ることができたのは、当時こうした日本の民俗学的な資料が豊富にあり、それらの成果が執筆の重要な情報源の一つとなっていたからだ。また現代、日本のアニメ等にみられる様々な奇譚や神話、妖怪などの話も、実は戦前に行われた伝統文化の保護と民俗学的研究に依るところが大である。余談ではあるが、著名な推理小説家である横溝正史は上述の金田一京助にちなんだ金田一耕助という探偵を主人公にして、多くの名作を残した。それは、さらに漫画『金田一少年の事件簿』へとつながってゆく。このように、明治時代から続く民俗学的研究や伝統文化の保護は、日本のサブカルチャーを豊富にした一つの要素といえるだろう。

戦後も渋沢敬三(渋沢栄一の孫)や宮本常一によって民俗学研究は継続される一方で、研究対象は日本に留まらず中国や東南アジアなどの少数民族地域も重視されるようになった。そうしたなか、文化人類学の立場から中尾佐助らが照葉樹林文化論を提唱し、日本の伝統文化には雲南やブータンなどの地域との共通性があると指摘した。このような調査研究の成果は、宮崎駿の映画制作に強い影響を与えている。文化や習俗は本来、国境や民族ではっきりと区画できるものではない。また日本が日本文化の奥深さを世界に発信できるようになったのは、日本の文化や民俗が特に魅力的で、特殊であったからではない。ただ、どの地域や民族にもあるはずの伝統的で素朴な営みが日本で記録され、保存されていて、それらに民族や文化を越えて共感できる基底部分が含まれているからではなかろうか。

中国でも先駆的な民俗学的研究を行った人物として周作人や茅盾らが挙げられるだろう。また、1960-70年代に全国各省で行われた中草薬調査は、非常に素晴らしい成果を挙げた事業である。伝統医学が規範化され、統一教科書で医師を育成するようになれば、こうした民間医療知識は次第に淘汰される運命にある。しかし、それらの知識が時として重要な情報源となりうることは、青蒿素発見の際に民間の薬物知識の収集と検証が抗マラリア研究の重要な起点になったことからもわかる。マラリア治療薬については、それ以前にも例えば17世紀に南米のスペイン人がキナノキに抗瘧効果があることを知り、それが宣教師を介して中国に伝わり、康熙帝が非常に重視した例もある。南米では現在でも新たな薬用植物の発見を期待して調査が行われているが、中国の伝統医薬知識にもまだそうした可能性はあるだろう。

しかし近年、国学などのハイカルチャーが重視されつつある一方で、図書館や学術雑誌などを見る限り、こうした民俗・風習・伝承の研究は未だに重視されていないように感じられる。それどころか、近年の地域産業振興で、残念ながら伝統文化が歪められているケースも目にする。また「外訳項目」(外国語翻訳事業)という、中国の主要古典を外国語に翻訳する活動も盛んであるが、多くの古典は二千年に渡る先行研究を咀嚼する必要があり、ふつう解釈が一定ではないので、現代中国語への翻訳ですら容易ではない。さらに外国語への翻訳となれば、1、2年で終えられる事業ではない。中国古典への幅広い知識と外国古典への十分な素養があって、初めて良い翻訳ができるので、安易な翻訳はかえって古典の価値を下げることになりかねない。加えて、「輸出」とは本来、相手国の需要があって成立するものであるから、需要を生み出すため、少なくとも品質は十分に満足させられるものでなければならない。さらに中国人が重視する文物や文化を、外国人も同じように価値を認めるとは限らないし、中国人が価値を置かないものに、外国人が価値を見出すこともある。たとえばジョセフ・ニーダムの中国科学史研究は、その好例といえるだろう。文化輸出に成功している国は、往々にして文化輸出を意図せずして成功している。したがって、文化輸出事業は一方的に紹介するだけではなく、外国人自身に選べる素材と機会、環境を提供することにも十分に配慮した方が効果的である。外国人からの視点を重視するため、小泉八雲(Lafcadio Hearn,アイルランド系イギリス人)のような外国語を母語とする専門家を長期的な計画で育てて、深い理解と体験を伴った古典翻訳を出版する方が有意義ではなかろうか。

中国は、日本よりも多様な文化と長い歴史をもつ国家であり、それらは欧州全体の歴史と文化に匹敵すると言ってもよいほど文化資源に恵まれた地域である。しかし、すでに述べたように、経済が発展すると生活スタイルが大きく変化し、社会や文化の多様性、とくに少数民族を含めた民俗文化や言語は急速に失われている。また周辺地域の民俗や伝承、伝統との比較も重要であるから、国内だけに注目するだけでは足りない。私はイスラム(イベリア半島を含む)や南アジアの医薬史に関心をもっているが、それらの古文書には中国に関連する記載が多いことはあまり知られていない。こうしたアジアの古典籍を中国語に翻訳することも、ソフト・パワーの強化にとって非常に重要な事業になると思う。ソフト・パワー強化には、今後より多面的な事業が必要になるだろう。

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