<コラム>春5月、蘇州の街路には梓の木が一番似合う

工藤 和直    2019年4月20日(土) 0時50分

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江蘇省蘇州市は歴史の古い都市である。その起源は今から2500年前の呉王闔閭の時代に遡り、秦・漢・唐時代から現代まで同一の敷地が脈々と使い続けられている。

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江蘇省蘇州市は歴史の古い都市である。その起源は今から2500年前の呉王闔閭の時代に遡り、秦・漢・唐時代から現代まで同一の敷地が脈々と使い続けられている。都市の敷地が変らずに活用され続けたという意味では、世界で最も長い歴史都市である。蘇州は南宋建炎4年(西暦1130年)金兵の侵略を受け、街は掠奪と破壊により廃墟になった。しかし、すぐに復旧して百年後には前にまさる盛観を誇った。当時の街の様子は、南宋紹定2年(西暦1229年)の石碑「平江図」に刻まれ、現在の蘇州の市街と基本的には変っていない。

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この「平江図:写真1」の素晴らしさは、精巧なくらいに城門・店舗・運河・小橋・道路・仏閣・遊戯所が石版に書き込まれている事である。道路上の石畳ですら当時の様子が目に映る。そして更に驚くのは道路に樹木が描かれている事である。

蘇州に初めて来た1987年頃、「平江図」に刻まれた樹木は何だろうか?と言う疑問から、街路樹の調査が始まった。蘇州の街路樹を分類するに、市の樹木であるクスノキ(楠樹)が一番多く、十全街などの古い街路にはプラタナス(法国梧桐:白いマンダラの幹に大きなカエデのような葉)・うねずみもち(白い花が咲き、実は女貞子と言う強壮剤になる生薬)、新しい道路には銀杏やヒマラヤ杉(雪松)・メタセコイヤなどの樹木が占める。プラタナスの二股に分かれた大きな幹は道路を覆いかぶさるほど大きく、特に秋になると美しい。十梓街から望星橋を越え蘇州大学旧正門前の通りや近くの教会に接する両街路、そして歴史を感じるのが旧蘇州子城(王宮があった場所)内にある五卅(Wu-Sa)路のプラタナスである。

銀杏やヒマラヤ杉は比較的新しい街路樹である。蘇州市内は三横四直の運河が流れ、その支流が非常に細かく分かれていた。近世紀の自動車時代になって、運河の多くは埋め立てられ道路となり新しい樹木が植えられた。道の片側がプラタナス、反対が楠木か銀杏と言う組み合わせだ。

日本では、春になると一斉に咲く桜に風情を感じるが、ここ蘇州では5月になると運河沿いに紫色の小さいチューリップ状の梓の花に遭遇する。十全街東呉飯店前に並ぶ3本の梓樹(写真2と3)は、見頃になるとその咲き誇る姿に帰りをつい忘れてしまう。

梓の木は非常に有意義な樹木で、木は版木となり、その実は秋になると利尿剤となり、最後は煮炊き用木材となる。呉王夫差は忠臣「伍子胥」に死を勧告、伍子胥は死ぬに際し「我が墓に梓を植えよ、以って王の棺をつくらん。我が目を東門に掛けよ、以って呉の越に滅ぼさんを見ん」の言葉が史記にあるが、そこに出てくるのが「梓の木」である。

第二横河が人民路を過ぎると十梓街と言う道がある。名前から見てきっと梓が植わっていると思ったが、一帯にあるのはプラタナスだけである。十梓街はその昔、平江府正面玄関前の大通りである。平江府は城壁に囲まれた子城の内にあった。そのメイン道路であるだけに、街路樹はきっと蘇州一の「梓の木」が植わっていたであろうと想像する。

人民路の南西部に文廟と言われる学府がある。今は石刻博物館となり、そこに「平江図」の石碑が在る。その横に樹齢150年の梓樹が3本見られる(写真4)。この樹木を見るたびに、かの「平江図」に書かれた樹木は「梓」でないかと思うのである。春5月、蘇州の街路には、梓の木が一番似合う。

■筆者プロフィール:工藤 和直

1953年、宮崎市生まれ。1977年九州大学大学院工学研究科修了。韓国で電子技術を教えていたことが認められ、2001年2月、韓国電子産業振興会より電子産業大賞受賞。2004年1月より中国江蘇省蘇州市で蘇州住電装有限公司董事総経理として新会社を立上げ、2008年からは住友電装株式会社執行役員兼務。2013年には蘇州日商倶楽部(商工会)会長として、蘇州市ある日系2500社、約1万人の邦人と共に、日中友好にも貢献してきた。2015年からは最高顧問として中国関係会社を指導する傍ら、現在も中国関係会社で駐在13年半の経験を生かして活躍中。中国や日本で「チャイナリスク下でのビジネスの進め方」など多方面で講演会を行い、「蘇州たより」「蘇州たより2」などの著作がある。

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