金門砲戦60周年、台湾側が記念式典=国防相「敵の善意によって平和が構築されることは絶対にない」

Record China    2018年8月23日(木) 22時40分

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中華民国(台湾)の厳徳国防相は23日午前、金門砲戦(823戦役)の60周年記念式典に出席し、「敵の善意によって平和が構築されることは絶対にない」などと述べた。写真は金門島に残る地下軍事施設の一部。

中華民国(台湾)国防部は23日午前、1958年の同日に発生した金門砲戦(823戦役)の60周年記念式典を金門島内で行った。同式典で厳徳(イエン・ダー)国防相は「敵の善意によって平和が構築されることは絶対にない」などと述べた。台湾政府が刊行する青年日報が伝えた。

中華民国国防部の厳徳部長(国防相)は式典で、「60年来国民は自由と民主を享受している。このような生活にあたって、必ずや823戦役で犠牲となった軍民同法を思い出さねばならない。さらに、実力があってこそ安全、戦いへの準備があってこそ戦いを止められることを思わねばならない。特に、敵の善意によって平和が構築されることは絶対にないと銘記せねばならない」などと述べた。

記念活動には、台湾の陸海空軍の司令官や地元の首長、金門砲戦に参加した退役兵や遺族も出席し、慰霊碑に献花して黙祷を捧げた。中華民国側は金門砲戦で440人余りが死傷したとされる。当時の中華民国軍金門島防衛司令部の吉星文、趙家驤、章傑の3副司令官も戦死した。

金門島は福建省泉州市沖2キロメートルほどにある島で、実際には大金門島、小金門島など12の島で構成される。総面積は約150平方キロメートル。中国国民党が共産党との戦いに敗れ台湾に撤退した後も、国民党軍は福建省に属する金門島の占拠を続けた。1949年10月下旬には、中国人民解放軍が金門島の奪取を狙い上陸作戦を決行したが失敗した。

国民党側が台湾以外に実効支配を続けた地域としては、金門島と同じく福建省に属する馬祖列島がある。国民党指導者の蒋介石は、支配地域が「台湾省」だけに限定されたのでは、中華民国が地方政権になってしまうと考え、金門島と馬祖列島の「死守」を命じたとされる。

中国人民解放軍は金門島の奪取を狙い、1958年に同島の軍事施設や交通機関などを標的に、猛烈な砲撃を開始した。戦闘開始2時間で4万発、1日で5万7000発の砲弾が撃ち込まれたという。砲撃戦だけでなく、台湾本島から金門島への補給を解放軍側が阻止しようとしたため海戦も発生。さらに制空権を巡り双方の戦闘機による空戦も発生した。

双方が発表した戦況には食い違いが大きく、それぞれが自軍の被害を少なく、敵の被害を誇大に、数字を露骨に操作して発表したとされる。しかし結果から見れば、解放軍の金門島進出を阻止したことで、同戦闘は中華民国側の勝利に終わったと言える。また、中華民国側は対岸の大陸部の砲兵陣地を砲撃し、大きな被害を与えたとされる。

中国側は10月5日に一方的に戦闘の終結を宣言。その後、毎週月・水・金曜日だけに無人の山中を狙って散発的に砲撃する「象徴的な攻撃」を続けた。最終的に米中国交が成立した1979年1月1日に、砲撃の中止を発表し、金門砲戦は最終的に停戦した。

一連の砲戦で金門島に打ち込まれた砲弾は47万発に達した。砲弾には非常に硬い鋼が使われており、金門島住民は不発弾を利用して包丁を作るようになった。同包丁は「金門菜刀」と呼ばれ金門島の名物になった。

なお、厳国防部長は金門砲戦の記念式典で、「60年来国民は自由と民主を享受してきた」と述べたが、台湾では1947年から87年まで戒厳状態にあり、国民党が反体制派と見なす人物を投獄・処刑しつづけた(白色テロ)。したがって、台湾人が自由と民主を60年にわたり享受したという言い方は正しくない。(翻訳・編集/如月隼人

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