ほとんどの中国人が誤解している日本の「失われた20年」の真相―中国メディア

Record China    2018年8月9日(木) 9時30分

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6日、証券時報は、「日本の失われた20年について多くの人が誤解している」とする記事を掲載した。資料写真。

2018年8月6日、証券時報は、「日本の失われた20年について多くの人が誤解している」とする記事を掲載した。

記事は、「日本経済が1980年代に栄え、90年代以降は長期にわたって低迷していることは、多くの中国人が極めて高い関心を持つ話題だ」と紹介。多くの人が、「日本は米国に無理やりプラザ合意を迫られ、円高を強要されたためにバブル経済が形成され、バブル崩壊後に失われた20年が始まった」と考えており、「85年のプラザ合意が日本の運命を変えた転換点だ」と見ているという。

しかし記事は、「入手可能な中国語の文献を見ると、決してそうではない」と指摘。「例えば、米国に円高を迫られたというのは全くのでたらめだ。70年代末からドル高となった米国では保護貿易主義の声が高まり、為替を調整することに日本やドイツは異論がなかった」と解説。「むしろ、日本は自ら米国の予想以上の10~12%の円高を申し出た。これは、為替問題解決は日本を含んだ各国の共通認識であったことに加え、円高は国の力を示すとの心理があったからだ」と分析した。

また、「米国は円を国際通貨とすることを阻止した」と多くの中国人は考えているが、これも「全くのでたらめだ」と記事は指摘。「米国のリーガン財務長官(当時)は、日本の金融市場の閉鎖性と円の国際化不足が、円安の原因であると見なしており、金融市場の対外的な開放促進と円の国際化によって円高にすべきだと考えていた」と分析。「したがって、米国は円の国際化を阻止するどころか、逆に国際化を強く推し進め、円を第二の決済通貨にすることが目標だった」としている。

さらに、「円高による資金流入が日本の株式市場と不動産のバブルを引き起こした」というのも主流の考えだと記事は指摘し、この見方には理解を示した。「プラザ合意での目標達成後も、円とドイツマルクは上昇し続けたため、経済が大きな影響を受けた。これに対し、ドイツは金融緩和ではなく財政拡張政策を選択したが、日本は逆に金融緩和によって円高を抑えようとした」と紹介し、「対応策の違いがバブルを招いた」と論じた。また、「85年から90年にかけて、日本企業や住民の負債比率が急速に上昇したのに対し、ドイツでは減少しており、この負債率の急速な上昇もバブルの重要な原因だ」と分析した。

他にも、「日本の80年代は自信が膨らんだ時期で、日本は国際的に重要な役割を演じるべきとの考えが支配的となり、プラザ合意での積極的な協力はその自信の表れだ」と指摘。「金融緩和、高い負債率、国の実力に対する楽観的な心理などの要素が合わさって、株式と不動産のバブルを招いた」と論じた。

記事は、「したがって日本のバブル経済とプラザ合意とに直接の因果関係はなく、両者に関係があったとしても、その後の長期にわたる経済低迷とバブル経済とは関係がないといえる」と主張。「日本経済の長期低迷は、独特な経済体で不透明さや人為的に問題を覆い隠すという文化であることと、深刻な高齢化と関係がある」と論じた。(翻訳・編集/山中)

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