人民日報が創刊70周年、「原爆実験成功の号外」なども誇らしげに紹介―中国

Record China    2018年6月15日(金) 19時0分

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画像は人民日報の創刊1号、同紙最初期の発行所、同紙を読む故毛沢東主席、原爆実験の成功を伝える号外、人民日報社を視察した習近平国家主席。

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中国共産党機関紙の人民日報が15日、創刊70周年を迎えた。人民日報はSNSを通じて、「誕生日おめでとう!私の新聞!」と題する記事を発表。中国初の原爆実験成功を伝える号外など、過去の功績を誇らしげに紹介した。

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人民日報が創刊されたのは国共内戦中の1948年6月15日だった。共産党軍はまだ北京(当時の名称は北平)を奪取しておらず、発行場所は河北省・平山県内にある農家だった。記事は「解放戦争の硝煙の中で誕生した新聞」と紹介した。

記事はさらに「われわれは忘れてならない。(中華人民共和国の設立を最終決議した)第1回中国人民政治協商会議から開国大典(建国セレモニー)まで、わが国初の『憲法』から土地改革まで、人民日報の記者はペンとカメラで、新中国の誕生と成長を記録した」と誇らしげに紹介した。

さらに、改めて「われわれは忘れてならない」と繰り返した上で、中国が1964年10月16日に初めて原爆実験に成功した際には「人民日報は、新中国として初の彩色の号外を発行した。無数の手が差し伸べられ新聞を受け取った」などと紹介した。同紙面を見ると「国防建設強化で重大な成果、世界の平和防衛のために重大な貢献」「わが国政府は世界各国首脳会議を開催して、核兵器の全面禁止と徹底廃棄の問題を討論することを提案する」などと書かれている。

記事はさらに、同紙が1951年4月11日に発表した「最も愛すべき人はだれか」と題する朝鮮戦争従軍記を取り上げ、中国ではその後、「最も愛すべき人」が人民解放軍兵士を指す代名詞になったと紹介した。

1960年代から70年代まで続いた文化大革命時に人民日報には劉少奇国家主席などを攻撃する論説などが掲載された。記事は同紙が果たした役割には触れず、文革終了後に「真理標準大討論(毛沢東の没後、文革路線の継続を主張する華国鋒派と改革開放を主張するトウ小平派が戦わせた論争)から大学入試の復活や改革開放まで、重大な歴史的事件の際には力を大いに発揮し、70年間の風雲の場に、人民日報は必ずそこにいた」と紹介した。

記事は最後の部分で、習近平国家主席が2018年2月19日に人民日報社を視察したことを紹介した上で、「中国の特色ある社会主義は新時代に入った。社会主義現代化強国を全面建設する新たな征途はすでに始まった。使命を担い、初心を忘れず、生誕70年を迎えて勢いは旺盛だ」とした。(翻訳・編集/如月隼人

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