金沙遺跡で日本の神社建築のルーツを発見=祭祀用の高床式建物―四川省成都市

Record China    2010年5月19日(水) 14時21分

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18日、四川省成都市郊外で01年に発見された約3000年前の「金沙遺跡」で、日本の神社建築のルーツと見られる高床式の祭祀建物の跡が見つかっていたことが分かった。写真は金沙遺跡の出土品を展示する金沙博物館。

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2010年5月18日、四川省成都市郊外で01年に発見された約3000年前の「金沙遺跡」で、日本の神社建築のルーツと見られる高床式の祭祀建物の跡が見つかっていたことが分かった。中国新聞網が伝えた。

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金沙遺跡の出土品を展示する金沙博物館が「国際博物館の日」に合わせて発表した最新の発掘状況で明らかになった。金沙遺跡は同省広漢市で発見された約3000年〜5000年前の「三星堆遺跡」と並び、古蜀文明の謎を解く重要なカギとして注目されている。出土品が似ていることから、金沙文明は三星堆文明を引き継いだものであると考えられている。

金沙遺跡からは祭祀用の器や黄金のマスクなど6000点以上が出土しているが、その90%以上が発掘された祭祀遺跡に建物の柱穴が9本見つかっていた。深さは約1.3メートル。これが商代末期―西周前期(紀元前1200年―同900年前)のもので、長い階段のようなものと草または木の皮でふいた屋根を持つ高床式建物の跡であることが分かった。

祭祀用に建てられたもので、祭祀を取り仕切る蜀王だけが登ることを許されていたと推測されている。中国の古代建築物の専門家、楊鴻[員力](ヤン・ホンシュン)教授はこの建物を「古蜀大社」と名付け、日本の神社の原型だと述べた。(翻訳・編集/NN)

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