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孫文が愛した日本人妻、求婚時は14歳―日本

配信日時:2009年3月2日(月) 7時51分
孫文が愛した日本人妻、求婚時は14歳―日本
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28日付の人民日報(電子版)は、中国革命の父・孫文に日本国籍の妻がいたとする記事を掲載した。資料写真。
2009年2月28日付の人民日報(電子版)は、中国革命の父・孫文に日本国籍の妻がいたとする記事を掲載した。

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孫家の史料では、その妻は盧慕貞(ルー・ムージェン)、宋慶齢(ソン・チンリィン)、陳粹芬(チェン・ツイフェン)の3人。しかし、日本女子大学の久保田文次教授によって、孫文にはもう1人、大月薫さんという日本国籍の妻がいたことが明らかにされている。

1898年(明治31)、神奈川県横浜市で薫さんと初めて会った孫文は、その美しさに心を奪われたという。1901年(明治34)、孫文は薫さんの父に求婚を申し込んだ。しかし、孫文は当時36歳、薫さんは14歳。そのため、きっぱり断られたという。それから1年後、薫さんに直接求婚し、2人は同市内で質素な結婚式を挙げた。

1906年(明治39)5月、2人の間に娘(宮川冨美子さん)が生まれた。しかし、冨美子さんの誕生をみないまま孫文は中国に帰国し、日本に戻ることはなかった。冨美子さんは生まれてまもなく、横浜市内の宮川家に養女に出された。それから薫さんは2度再婚したが、孫文からの連絡を生涯待ち続けたという。薫さんが亡くなったのは1970年(昭和45)、享年82歳だった。

孫文は米国の友人に、「名前は分からないが、日本に娘がいる」などと話していたという。また薫さんは生前、半生を記録したテープを残しており、冨美子さんの名は孫文の「文」の訓読み、「ふみ」から付けたと証言している。冨美子さんが生みの親である薫さんの存在を知ったのは、1955年(昭和30)になってから。取材に応じた際、「母から父(孫文)のことは聞いていましたが、中国のご家族の立場を思い明かさずにきました」と答えていた。(翻訳・編集/SN)
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