文革で墓を暴かれた清朝大官の遺体を発見―河北省滄州市

Record China    2007年6月23日(土) 10時9分

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2007年6月初頭、河北省滄州市南皮県で、清朝末期の有力官僚・張之洞の遺体が発見された。1966年秋、文化大革命中に紅衛兵らに墓を暴かれた後、40年にわたり遺体は行方不明となっていた。

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2007年6月初頭、河北省滄州市南皮県で、清朝末期の有力官僚・張之洞の遺体が発見された。1966年秋、文化大革命中に紅衛兵らに墓を暴かれた後、40年にわたり遺体は行方不明となっていた。

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張之洞は清朝末期の有力官僚で、洋務派として知られる。経済建設事業・科挙廃止と日本留学などの新式教育推進事業に尽力した。しかし新中国成立後は封建官僚として批判され、文化大革命期には墓まで暴かれた。

近年、中国近代化に果たした洋務派の役割が再評価され、張之洞の評価も大きく変わった。2004年の南皮県張之洞研究会の発足を皮切りに県でも張之洞再評価の機運が高まり、2006年には記念館も建設された。

そこでぜひとも遺体を探し出したいと、南皮県張之洞研究会のシン家訓(シン・ジャーシュン)会長を中心に捜索が進められていた。今年春、南関村の張執信(チャン・ジーシン)氏から、墓を暴かれた後投げ捨てられた遺体を埋めたとの有力証言を得て、今回の発見につながった。現在、遺骨は南皮県烈士陵園が暫定的に収容しているが、今年10月4日の張之洞の命日には墓を再建し、埋葬し直すという。(翻訳・編集/KT)

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