中国は韓国との共同戦線をもはや躊躇すべきでない=安重根記念碑設置をめぐって(下)―米華字メディア

Record China    2013年11月22日(金) 12時50分

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20日、米華字メディア・多維新聞は、「安重根が誘爆した歴史の矛盾、中国は韓国との共同戦線にもはや躊躇(ちゅうちょ)すべきでない」と題した記事を掲載した。写真は安重根の死刑が執行された旅順の監獄。

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2013年11月20日、米華字メディア・多維新聞は、「安重根(アン・ジュングン)が誘爆した歴史の矛盾、中国は韓国との共同戦線にもはや躊躇(ちゅうちょ)すべきでない」と題した記事を掲載した。

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あらゆる歴史問題において、中国は一貫して大局的な戦略とその時々の政治判断に従ってきた。尖閣諸島問題が人々の視野に入るようになった1970年代当時は、歴史問題にしろ尖閣諸島問題にしろ、日中関係における大問題にはなりえなかった。当時の中国政府は「侵略の歴史を認めるかどうかが、両国関係における原則だ」と厳しく指摘した。しかしながら、そのような対応をとったのは、安全保障の面から日本と共同でソ連に対抗する必要があったためだ。中国は具体的な歴史問題において必ず徹底抗戦するというわけではない。

安重根をめぐる問題において、中国の態度は紆余(うよ)曲折を経てきた。安重根が日本により死刑に処せられた後、日本の侵略に対抗する必要から、中国の政治家は次々とその義挙を称賛した。孫文(孫中山)は詩を詠み、中国各地で義挙を題材とした劇が繰り返し上演された。周恩来と、その妻で後に婦人解放運動で活躍したトウ穎超も天津での学生時代に劇に出演した。

しかし、1949年に中華人民共和国が成立すると、安重根に対する肯定的な宣伝は下火となった。日本語メディアの情報によると、2006年に韓国人によってハルビン市に4メートル50センチの安重根の銅像が建設されたが、「外国人の銅像建設は認めない」として中国当局により撤去された。伊藤博文暗殺から100年にあたる09年、同市は駅近くの中央大街公園広場での記念式典開催を認めず、朝鮮民俗民芸博物館での開催となった。旅順市の戦争陳列博物館で安重根の特別展が開かれたが、「国際抗日烈士展示館」として安重根の名前は出さず、慰霊や記念式典は認めなかった。政権を握ってからの中国共産党は「暗殺政治」を奨励しない。これこそが中国が安重根をめぐる問題に冷えた態度を取る理由なのだ。習近平(シー・ジンピン)国家主席の就任により、中国は再び安重根記念碑設置を公に支持するようになった。それは世界規模での安全保障戦略を考慮し、韓国との共同戦線の必要性を重視したためだ。

第二次世界大戦終結から続く歴史問題が日中関係に与えた影響を考えると、両国が心から和解を求めるのであれば、歴史問題を徹底的に清算しなければならない。中国は、日本が歴史を正しく認識するよう求め、日本への要求を明確に指摘し、日本に歴史を反省する「見本」を示さなければならない。歴史問題において日本と対抗するという立場が一致すれば、中国は韓国と共同戦線を張るという意向を隠す必要はないのだ。(翻訳・編集/NY)

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