伊藤博文を射殺した安重根の遺骨、日本が秘密裏に埋葬し行方知れずに―中国メディア

Record China    2013年7月1日(月) 7時40分

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28日、1909年に伊藤博文を中国・ハルビン駅で狙撃し暗殺した安重根の遺骨は、当時の朝鮮民族が彼を英雄視することを恐れた日本政府によって秘密裡に埋葬されたという。写真は現在のハルビン駅。

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2013年6月28日、中国を訪問中の韓国の朴槿恵(パク・クネ)大統領は、習近平(シー・ジンピン)国家主席と昼食をともにした際、1909年にハルビン伊藤博文を暗殺した朝鮮の独立運動家、安重根(アン・ジュングン)の石碑をハルビンに設置することに協力を要請した。この安重根について、中国メディア・網易歴史は以下のように伝えている。

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1909年10月26日、「伊藤博文がハルビン駅にて朝鮮人の凶弾に倒れる」との一報が全世界を揺るがした。当時、枢密院議長で初代韓国統監を務めていた伊藤博文は、現在の黒竜江省にあるハルビン駅で安重根に狙撃され死亡した。日本の新聞や朝鮮の親日派新聞は安を「暴徒」「無知蒙昧(むちもうまい)の徒」と罵ったが、フランスを代表する西側諸国や朝鮮の多くの新聞は客観的立場でこの事件を報道。中国とロシアの新聞は安を「愛国志士」「平和の代表者」とたたえた。

安重根が殉死すると、孫文(孫中山)ら中国各界の名士はこぞって詩を詠み、彼を「亜洲第一義侠」と称賛。周恩来はかつて「中国と朝鮮の抗日運動は安重根の伊藤博文射殺事件から始まった」と話している。また蒋介石は72年に韓国の安重根義士記念館に対し「忠烈千秋」の題字を贈った。50年代の中国の小学校の教科書にも安重根に関する記述が掲載されている。北朝鮮は79年に安重根生誕100周年を記念して、映画「安重根、伊藤博文を撃つ」を製作した。

韓国や北朝鮮、中国のハルビンや安が投獄されていた旅順、亡命先のロシア、日本など、各地に安重根の記念館や記念碑が建てられているが、彼の遺骨は当時の日本政府が秘密裏に埋葬したため、今日までも行方不明のままだ。(翻訳・編集/本郷)

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