<日本人が見た中国>南京大虐殺記念館、加害者の立場で見る悲しい歴史の衝撃

Record China    2013年1月17日(木) 12時13分

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江蘇省南京市には、日本軍が戦争中に起こしたとされる南京事件の記念館がある。数々の証言や写真、遺骨を目の当たりにすると、南京大虐殺はなかったという説がまるで現実味のないことのように感じられる。日本人がぜひとも訪れ、平和について考えるべき場所かもしれない。

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2013年1月17日、鳩山由紀夫元首相が南京大虐殺記念館を訪れた。日中関係について意見交換をするために、中国側の招待に応じて訪中している鳩山氏。日本の元首相としてこの記念館を訪れるのは3人目とのことだ。

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このニュースを聞くと、昨年訪れた灰色の大きな建物がどこまでも暗い影をまとってよみがえってきた。あそこを訪ねた鳩山氏は、間違いなくいたたまれない気持ちになったことだろう。同時に多少の誇張も交じった展示内容に、ひそかに反発する気持ちも覚えたに違いない。きっと、私と同じように…。

南京は言わずと知れた南京事件、つまり南京大虐殺が起きたとされる場所だ。この史実を忘れないために造られたのが南京大虐殺記念館だ。正式名を「侵華日軍南京大虐殺遇難同胞紀念館」という。ここを訪れる日本人旅行者は、自分が日本人だということがばれないように、一言も口をきかずコソコソと見て回るという話をよく聞いていた。だから、これまで何度も中国を訪れていながら、南京へ行こうと思ったことは一度もなかった。

しかし2012年10月、中国各地の反日デモが落ち着いた直後に仕事で南京へ行く機会があり、結局私もその記念館を、コソコソと見て回ることになったのだ。

訪れたのは、記念館の灰色の建物が一層陰気に見える小雨の日だった。7万4000平米の広い敷地には展示館やモニュメントが建ち並び、赤や黄色のおそろいのキャップをかぶった中国人ツアー客が次々に吸い込まれていく。南京事件が現在でもこれほどまでに中国人の関心を引いている事実に、驚かざるをえなかった。

館内にはおびただしい数の死体の写真や被害者の証言、解説などが展示されていた。中国の学者が主張する、30万人という犠牲者数があちこちに大きく書かれている。虐殺された遺体が埋葬されたという「万人坑遺址」の一部が土ごと展示され、人骨とともに発見された日本製の酒瓶が置かれていた。さらには従軍慰安婦が詰めていた慰安所の大きな模型があり、その内部には当時の一般女性が日本軍によって受けた暴行の記事も張り出され、事件の被害がいかに深刻だったかをこれでもかとばかりに伝えていた。どれも目を背けずにはいられないものばかりだった。

私の顔からは、恐らく血の気が引いていたことだろう。南京大虐殺はなかったという説も存在したはずなのに、それを覆すことは絶対できないような証拠を、いきなり目の前に突きつけられた感じなのだ。

「でも、世界の歴史上、同様の事件はほかにもあったではないか…」

「それなら、チベットや新疆に対する中国の侵略と虐殺はどうなるのか…」

あまりにも重すぎる事実を前に、それをじかに受け止めることができなかった私の頭の中を、これらの言葉がぐるぐると回っていた。敷地の外へ出ると、針のむしろからやっと解放されたような気分になり、ふうっと大きく息をついた。

世界には、人類の悲惨な歴史を忘れないための、いわゆる負の遺産とされるものが数多くある。ポーランドのアウシュビッツ強制収容所をはじめ、ポル・ポト政権のもと虐殺が行なわれたカンボジアのキリング・フィールドや、イスラエル軍に破壊されたシリアのクネイトラなど。どこも重苦しい気分にさせられる場所だ。しかし、加害者としての立場で見るこの南京大虐殺記念館は、その衝撃も心に喚起される複雑な感情も、より一層強いものだった。

大きすぎる犠牲は、現在までにどんな禍根を残してきたのか。そして真の平和を得るには一体どうするべきなのか。他人事でなく、この問題がひしひしと胸に迫ってくる場所だった。日本人にとって南京とは、感情を揺さぶる衝撃と発見に満ちた、訪れるべき旅の目的地であるのかもしれない。

■筆者プロフィール:菅沼佐和子

神奈川県生まれ。2002年より約3年半かけて、ユーラシアとアメリカ、アフリカ大陸の一部をバックパック旅行する。旅の経験を活かし、現在は東京を拠点にフリーランスの旅ライター兼編集者として活動中。最近よく訪れるのは中国とインド。

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