21年間投獄された「殺人犯」が無罪に―中国

Record China    2018年5月26日(土) 9時30分

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24日、北京時間は、安徽省で起きた殺人事件の犯人として21年間服役後に無罪放免された男性とその家族について紹介する記事を掲載した。資料写真。

2018年5月24日、北京時間は、安徽省で起きた殺人事件の犯人として21年間服役後に無罪放免された男性とその家族について紹介する記事を掲載した。

1996年8月25日、安徽省渦陽県で一家5人が襲撃され1人が死亡、3人が重傷を負う事件が発生。県公安局は特大殺人事件として専門捜査グループが立ちあげ捜査を進めたが、なかなか進展が得られなかった。翌年3月、新たな捜査グループが重大な手掛かりをつかみ、事件当日に現場付近にいたという周継坤(ジョウ・ジークン)さんら5人に疑いがかけられた。

そして、警察側による「2日に及ぶ辛抱強い説得と教育により、5人が飲酒後に犯行に及んだことを1人が自供した」とのことで、周さんら5人は相次いで逮捕された。公判を経て、98年10月に裁判所は証拠不足で5人を無罪とすることを決定したが、翌日に被害者の家族が服毒自殺を図ると状況が一変、99年3月には周さんに死刑が、残りの4人にも死刑から懲役15年の刑が言い渡された。2000年10月には高等法院が一審判決を支持して、刑が確定した。

周さんらが20年以上にわたり服役を続けるなか、家族らは懸命に無実を訴え続けた。そして事件発生から22年が経過した18年4月11日、安徽省高等人民法院は、5人に対して無罪を言い渡した。

周さんが逮捕、投獄されたとき、娘が8歳、息子は7歳だった。幸せだった生活は大黒柱を失って一変し、娘は16歳で学校を辞めて1人で広東省広州市に働きに出た。息子も中学1年の時に「お前の父ちゃんは殺人犯」と言われたことで同級生とけんかし、その後やはり広州への出稼ぎを余儀なくされた。

そして、働き盛りだった周さんはすでに51歳に。息子の無実を証明すべく奔走していた父親が昨年70歳で亡くなったのを知ったのは、釈放された当日だったという。自由の身になってから1カ月が経過したが、今でも「あの時、投獄されなければ…」と考え呆然とするという。その都度家族が「何はともあれ、再びこうして家族が集まれたのだから」と慰めるのだという。(翻訳・編集/川尻

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