台湾首相が日本人技師・八田与一の没後76周年の式典に出席、功績たたえ日台友好を訴える

Record China    2018年5月9日(水) 13時40分

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台湾の頼清徳首相は8日、日本人技術者、八田与一の没後76周年の「追慕式典」に出席し、八田の功績をたたえるとともに、日台関係が今後もさらに安定することを希望した。写真は八田與一像。

中華民国(台湾)の頼清徳(ライ・チンダー)行政院長(首相)は8日、台南市にある烏山頭ダムで開催された日本人技術者、八田与一の没後76周年の「追慕式典」に出席し、同ダムを建設した八田の功績をたたえるとともに、現在も良好である日台関係が、今後もさらに安定することを希望した。

八田與一(1886−1942年)は日本統治時代の台湾で技術者として、台湾各都市の上下水道の専門や発電・水利事業に携わった。特に有名なのは烏山頭ダム建設を含む台湾南部の嘉南平野での水利事業だった。現地は水不足のため農業が難しい土地だったが、八田が先頭になって推進した水利網の完成により肥沃な農地となった。

頼首相は追慕式典で、八田が当時の総督府に嘉南平野の水利事業計画を提出したのは100年前の1918年だったと説明。30年に完成した烏山頭ダムは当時、世界で3番目、アジア最大のダムだったと述べ、八田が進めた水利事業のおかげで15万ヘクタールの農地が潤うことになったと論じた。

頼首相は2010年12月から17年9月まで台南市長を務めた。8日の追慕式典では、台南市民は70年以上にわたり、八田与一の功績に感動しており、一時は多くの問題や妨害があったが、嘉南農田水利会と台南市政府、さらに後には八田の出身地の日本の金沢市が共同で、追慕式典を開催して八田に対して心からの感謝をささげていると説明。

さらに、台南市長を務めていた7年間は必ず追慕式典に出席し、首相となった現在は公務が極めて多忙であり、台北市で執務しているという距離もあるが、日本と台湾の良い感情を促進し、友好関係をさらに固めるために、首相として式典に出席したと述べた。

頼首相は、2016年に台南で地震が発生した時、日本の安倍晋三首相は真っ先に政府官員を派遣して現地が何を必要としているかを調査したことや、台湾が中国の妨害で世界保健機関(WHO)の年会に出席できないでいることについても、日本は出席を求める台湾を支持していると主張。国際社会において日本と台湾が同調していることの意義は大きいと論じた。

台湾では、八田与一が歴史教科書でも紹介されている。台湾では日本の台湾統治については「悪いことも良いことも両方あった」と考える人が多い。烏山頭ダムのほとりには、八田与一の銅像が置かれている。戦前に地元農民が設立を求めたもので、第2次世界大戦末期の金属類回収令や戦後に蒋介石が日本統治時代の記念物などの破壊を進めた際には「行方不明」になった。地元有志が破壊から救うために密かに持ち出して隠したためだった。元の場所に改めて設置されたのは1981年だった。

2017年4月には、頭部が切断され持ち去られたが、台南市内の美術館が所有していたコピーを利用して復元された。

八田与一は東京帝国大学工学部土木課を卒業した後は台湾に渡り、上下水道の建設や水利・発電事業に従事した。第2次世界大戦中に陸軍の命令でフィリピンでの水利事業の調査に訪れる際に、乗っていた船が米軍潜水艦の攻撃を受けて沈没し、死去した。1942年5月8日だった。(翻訳・編集/如月隼人

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