<コラム>ちょっと昔の中国の話=かの国で、私も「腐敗」に手を染めた

配信日時:2018年2月11日(日) 14時50分
ちょっと昔の中国の話=かの国で、私も「腐敗」に手を染めた
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鉄道を利用しようとしてどうしても乗車券が手に入らないことがありました。やむをえず鉄道関係者に「贈り物」をしました。今だったら完全にNGだったでしょう。腐敗行為として「撲滅の対象」にされてしまう。写真は中国の列車。
私が中国に留学していた1980年代後半から90年代前半の話です。鉄道を利用しようとしてどうしても乗車券が手に入らないことがありました。やむをえず鉄道関係者に「贈り物」をしました。今だったら完全にNGだったでしょう。腐敗行為として「撲滅の対象」にされてしまう。

▼地方都市間を列車で移動、通常の方式での乗車券購入は無理
地方都市から地方都市までの移動でした。仮にA市からB市としておきましょう。夏休みの時期で、春節(旧正月)や国慶節(建国記念日)の時期ほどではありませんが、旅行をする人が増える時期。私が利用した路線は「この時期、通常の方法での乗車券の購入はほとんど無理」と言われていました。

そこで、知人の知人の知人ぐらいを頼りました。所属はA市の鉄道局で、A市とB市を往復する列車で食堂車の調理師をしていた人です。仮にLさんとしておきましょう。

当時、高速鉄道はまだありません。蒸気機関車はほとんどなくなっていた。電化路線はまだ少なかった。ということで、ほとんどの列車はディーゼル機関車が客車を牽引(けんいん)する方式でした。

A市からB市までの鉄道の旅は24時間ぐらいでした。私がなぜコネを使えたかというと、中間になった人がLさんをいつも「儲けさせている」からでした。当時の中国では物流や商業の規制が極めて厳しく、逆に、ある地方の特産品を安く手に入れて他の地域に持って行って販売するとかなりの利益を出すことができました。

「走私(ゾウスー)」と呼ばれる違法行為ですが、鉄道関係者はかなりやっていたようです。私がつながることのできたB市在住の男性がLさんと「友達」になり、地元の特産品を安く卸していた。Lさんは乗務のついでにその品をA市に持ち帰って転売していたわけです。

▼夜陰に紛れて鉄道関係者の住む宿舎に侵入
Lさんが住んでいたのはA市の鉄道局の宿舎。私はある日の晩、B市在住の男性に教えられた部屋を訪れました。手土産ということで、割と高級な酒を2本持って行きました。話はすでに通っていた。Lさんは私に「私が乗務する列車がちょうど、明日の昼前に出発する。入場券でプラットフォームに入り、午前11時半ごろに食堂車まで来て私を呼んでほしい」と言いました。

もちろん、指示に従いました。食堂車は食材を搬入している最中でした。作業をしている人にLさんの名を告げると、すぐに呼んできてくれた。さて、乗車券は入手できたのか。私はLさんに聞いてみた。ところがLさんは、「乗車券?そりゃ無理だ。手に入らない」と言うのです。あちゃあ。ダメだったか。

Lさんは意外なことを言い出しました。「乗車券なんか要らないんだよ。こっちへ来てくれ」と言います。なんだか狐につままれたようですが、従うしかない。Lさんは私を最後尾の車両に連れていきました。その時に初めて知ったのですが、中国の列車には乗務員用の寝台車が連結されていたのです。

長時間運行する列車には、2つの「班」が乗務しています。交代で勤務するわけです。その列車の場合、出発時に勤務した乗務員は夕方前までの勤務。その後は休憩や仮眠の時間。そして、翌朝から再び当番です。休憩中の乗務員が、列車最後尾の車両を使っていたのです。

中国で「硬臥(インウォー)」と呼ばれる2等寝台でした。ただ、乗務員の人数は全員を合わせても「硬臥」の車両を占領するほどは多くない。つまり寝台はかなり余る。そこに「知り合い」を押し込んでしまうという方法でした。そういえば、その車両にはどう見ても乗務員とは思えない人が結構いました。

ちなみに、運転士は客車や食堂車の乗務員とは異なる勤務形態であり、機関車を数時間置きに交換するので、その時に運転士も交代するとのことでした。長時間運転させたのでは運転士の疲労が高まるので安全面での問題が発生しかねないからとの説明でした。乗務員はいつも一緒に仕事をするので互いによく知っているのですが、運転士の多くは顔見知りでないと教わりました。

▼昼食の営業を終えた食堂車、昼下がりの宴会が始まる
さて、私を寝台車に連れてきたLさんは私に、「食堂車は出発の直後から営業するから私は忙しくなる。2時半ごろに昼の営業が終わるから、それから一緒に食事しよう。どうだい?」と言いました。異存はありません。Lさんは食堂車に向かいました。

Lさんに言われた通り、午後2時半に食堂車に行きました。食事をしている人がまだいましたが、テーブルのほとんどは空いていた。Lさんは厨房から顔を出して「もうすぐ終わるから空いた席に座っていてくれ」と言いました。

Lさんはすぐにやってきた。そして、食堂車に来ていた別の乗務員に声をかけました。4人でテーブルを囲みます。Lさんの後輩らしい若い調理師が料理を持ってきてくれた。「あ。料金を払います」と言ったら私以外の3人は大笑い。「やっぱり日本人だ」なんて言っている。

Lさんは「あなたは私が招待したんだぜ。そんな客人からカネを取れるわけがないだろ」と笑っている。そうか、わかった。Lさんの厚意に甘えることは、Lさんの面子(メンツ)を立てることでもあるのだ。乗務員への賄い分を含めて食材を購入しているので、私1人が加わったぐらいでは特に問題は出ないのだろう。

食堂車のテーブルには、白酒(バイジウ、中国伝統の蒸留酒)の瓶が置いてあります。客が飲んだ場合には、その料金を支払うというシステムです。Lさんは私に「あなたは白酒を飲むかね」と尋ねました。度数が高くて強烈な香りがあるので、白酒を好まない外国人も多いと知っていたのでしょうか。

▼列車が1往復すれば酒瓶は何本か割れることになっている
私は「よく飲んでいますよ」と答えました。すると、テーブルに備え付けの1本を取って「じゃあ、これを飲もう」というということになりました。あ、これではさすがにLさんに金銭的負担をかけてしまうかな。そこで「じゃあ、この代金は私が払います」と言ったら、3人は再び大笑い。Lさんの隣にいた乗務員は「列車が1往復すれば、酒瓶の何本かは割れることになっているんだよ」と言って、私に手渡した盃に酒をつぎました。

それからかなり長い時間、会話をしました。多くは日本の鉄道事情でした。中国にはまだ高速鉄道がなく、新幹線の話もずいぶん聞かれました。逆に、教えてくれたこともあります。前述した中国の鉄道乗務員の勤務方式などです。

酒もずいぶん飲んだなあ。後から別の人もやってきて、5、6人で白酒2本ぐらいを飲み干したと記憶しています。

▼大らかすぎる面はあるが、「鉄道への愛」は十分に感じた
そろそろ、勤務交代の時間になったらしい。次の班の調理師らしい人がやって来た。夕食の下ごしらえでしょうか。接客担当らしい人も来はじめた。Lさんは「そろそろ引き上げよう」と言いました。と、Lさんの隣に座っていた人が、急に真剣な表情になった。こんなことを言い出しました。「オレたちも、列車のなかでいつもこんなに飲んでいるわけではない。それに、勤務が終わった時でなければ酒は絶対に飲まない。仕事に影響を出しちゃダメだからな」ということでした。

彼は「このことは誤解しないでほしい。日本人に、中国の鉄道員がいい加減な仕事をしていると思われたら困る」などと繰り返しました。私は「誤解していませんよ。安心してください。中国の鉄道員は、とてもよく仕事をしていると思います」と答えました。

お世辞ではありません。中国国内で何度も鉄道旅行をしましたが、私の見た限り、しっかりと仕事をしている人ばかりでした。その時分には、仕事を利用して地方の特産品を売る商売をしたり、紹介された部外者を乗務員用の寝台車に乗せるなど「おおらかすぎる」面もありましたが、乗務員らが自分の仕事に対して愛情を持っていることは、はっきりと感じていました。

今は国をあげての「腐敗撲滅」を進めているから、あのころのような状況にはないのだろうなあ。それにしても、懐かしい思い出です。

■筆者プロフィール:如月隼人
日本では数学とその他の科学分野を勉強したが、何を考えたか北京に留学して民族音楽理論を専攻。日本に戻ってからは食べるために編集記者を稼業とするようになり、ついのめりこむ。「中国の空気」を読者の皆様に感じていただきたいとの想いで、「爆発」、「それっ」などのシリーズ記事を執筆。
※掲載している内容はコラムニスト個人の見解であり、弊社の立場や意見を代表するものではありません。
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