<中国人が見た日本>中国空軍の創設に貢献したのは日本人捕虜たちだった

Record China    2010年3月6日(土) 8時1分

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2日、コラムニストで教育専門家の信力建氏は、「中国空軍創設の貢献者は日本人捕虜たちだった」と題した記事を中国のブログサイトに発表した。写真は中国空軍。

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2010年3月2日、コラムニストで教育専門家の信力建(シン・リージエン)氏は、「中国空軍創設の貢献者は日本人捕虜たちだった」と題した記事を中国のブログサイトに発表した。以下はその概略。

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45年8月15日、日本が無条件降伏した知らせは瀋陽近くの奉集堡飛行場に駐留していた日本の関東軍第2航空団第4練精飛行隊の約300人にも届き、焦った彼らは急ぎ南方へと逃亡した。だが、20日ほどして中国共産党指揮下にあった東北民主連軍総部(東総)に包囲され投降。林弥一郎隊長らは捕虜となったが、意外にも東総から命の保証と引き換えに航空学校の設立に協力するよう要請された。

交渉の場は緊迫していた。林隊長は終始、伍修権(ウー・シウチュエン)参謀長の腰に掛かっていた拳銃を凝視していたが、話が終わるとおもむろにこう言った。「伍将軍、あなたのその拳銃を記念として頂けませんか?」。相手は投降したばかりの敵だ。普通だったら簡単に応じる訳がない。だが、林隊長の意図を汲んだ伍参謀長は迷わずそれを手渡した。

これで両者の間に確固たる信頼関係が生まれた。関東軍の軍人だった彼らを中心に創設された東北民主連軍航空学校は計160人のパイロットを養成、王海(ワン・ハイ)元空軍司令官、林虎(リン・フー)元空軍副司令官など多くのエリートを輩出した。

中国空軍の基礎を築いた日本人たちはその後、祖国に帰還した。共産党は彼らの身分を公表せず、彼らに関する資料はすべて廃棄された。56年6月27日、当時の周恩来(しゅう・おんらい)首相は日本の代表団に「我々は一部の日本人に大変感謝している。日本の軍国主義は残酷だったが、我々に協力してくれた日本人も大勢いた」と話している。(翻訳・編集/NN)

●信力建(シン・リージエン)

中国の教育家。信孚教育集団理事長。広東省広州市生まれ。中山大学中国文学部卒。工場、銀行、政府機関などで働いた後、英国へ留学。軍人、農民、労働者など30以上の職に就いた経歴を持つ。2006年までに幼稚園や小中学校など20校を建設、学生数は1万人を超える。

※本記事は筆者の承諾を得て掲載したものです。

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