受験対策一色、これでは哲学者は育たない?=米国人学生が見た中国の教育―米紙

Record China    2009年6月14日(日) 7時19分

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2009年6月、米紙ボストングローブは記事「米国人学生の目から見た中国の教育」を掲載した。米国の私立小学校、公立中学校を卒業した学生が中国の教育について語った。写真は浙江省の古本屋。大学入試を終えたばかりの学生が参考書を売りに来ている。

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2009年6月、米紙ボストングローブは記事「米国人学生の目から見た中国の教育」を掲載した。米国の私立小学校、公立中学校を卒業した学生が中国の教育について語った。12日、鳳凰鋭評が伝えた。

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米国の教室では子どもたちはいつもわいわいと騒いでいた。一方、北京の学校は厳粛な空気に包まれて息苦しいほど。しかしボストンの学校で学んだことは北京の学校で学んだことよりも多かったように思う。

中国の勉強方法といえば、教科書の暗唱、黙って問題を解く、あるいは声をそろえての発話練習など。すべては受験の準備にあてられている。それも仕方がないところだろうか、中国の高校や大学は点数だけで計られるからだ。中国の学生が必死に勉強するさまは、名門ハーバード大学を目指す米国学生ですらもかなわないだろう。

ただし自由討論や自分なりの解決方法の模索に慣れた米国人学生にとって中国の授業はあまりにも空虚で制約されたもののように思える。中国では1クラスには平均45人の学生がいる(ボストンでは28人)。学生の数も教師が一人一人に気をかけることを難しくしている。

中国の教育課程は自由度が少なく、数学もコンピューターの授業もただ一つの解決方法しかない。作文の機会も少なく、読む本といえば歴史や古典、漢詩ばかりで小説を読むことは少ない。しかしこうしたなか、学生は議論の機会を持てず学んだ知識を消化することができない。米国人にとっては深く思索すること、決断することこそが教育の重要な一部であるが、中国の中高生にはほとんどこうした経験がない。中国の学校にも多くの長所があろうが、しかし哲学者を育てるものではないようだ。(翻訳・編集/KT)

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