「互恵」から「互敬」へ、92歳初代中国公使が語る日中関係

Record China    2008年10月17日(金) 20時8分

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17日、日中国交正常化後に初代中国公使を務めた林祐一氏が著書の中で当時の様子や日中関係について語った。写真は林氏。(写真提供:段躍中)

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2008年10月17日、中国の胡錦濤国家主席が今年5月7日に来日し、福田元首相と首脳会談を行い、共同文書「『戦略的互恵関係』の包括的推進に関する日中共同声明」を発表した。胡主席の訪日は中国主席として10年ぶりであり、日中関係は冷え込んだ冬が続いていた。紆余曲折が続く日中関係であるが、最大の難関はやはり日中国交回復であったといえるだろう。

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日中国交正常化後の初代中国公使、現在92歳の林祐一氏は今月17日に刊行された「日中外交交流回想録」(日本僑報社)の中で当時の様子について語っている。林氏は1972年に突然、国交の無かった中国で北京公使を命じられる。当時、メキシコ公使であったにもかかわらず、異例の早さで転任するように厳命され、中華人民共和国初の日本国大使館の開設準備を行った。日中間の航空、貿易、漁業、輸送、報道などの新しい協定交渉から、大使館館員の住宅手配という日常の問題まで、難問が山積する中、中国側と折衝を行った日々は苦難の連続であった。

92歳になった今、官と民の交流に携わってきた生涯をふまえ、日中平和友好条約締結30周年の今年、林氏は次のように述べる。「『戦略的互恵関係』の包括的推進に関する日中共同声明」は素晴らしいが、「互恵」という言葉は国益中心的であり、何よりも経済用語的だ。政府同士は互いに国益追求だから「互恵」でもよいが、国民同士は互いに敬う「互敬」でつきあっていこうではないか。感情でなく、理性で「日中友好」を考え、実践してほしい、と。

最後に林氏はこうも述べた。「中国はどこへ行くのかとよく人から問われるが、『中国はどこへも行かない。いつも海をへだてて日本の西隣りにいる』と答えることにしている。引っ越しできない大切な関係なのだから」と。初の中国公使の言葉は重い。(編集/TH)

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