日本の作品に比べて影が薄い韓国文学、存在感に欠けるのはなぜ?―中国メディア

Record China    2017年12月26日(火) 23時0分

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25日、澎湃新聞に「韓国文学が中国で存在感に欠けるのはなぜか?」と題する記事が掲載された。写真は村上春樹氏の作品の中国語版。

2017年12月25日、澎湃新聞に「韓国文学が中国で存在感に欠けるのはなぜか?」と題する記事が掲載された。以下はその概要。

先日、韓国の文在寅(ムン・ジェイン)大統領が金正淑(キム・ジョンスク)夫人と共に中国を訪れた。これに先立ち、夫人は中国の人々に向けて韓国の著名詩人・鄭玄宗(チョン・ヒョンジョン)氏の作品を朗読したが、同氏の名を初めて聞くという人がほとんどだったのではないだろうか。日本の作品に比べると韓国の作品に対する中国人の認知度は低いと言える。

かなり前に「韓流」と称される韓国の大衆文化が中国に大きな衝撃を与えた。近年、中国で放映される韓国ドラマの数は大幅に減ったとはいえ、大好評を博す作品が存在することは事実だ。ただ、一部の人は中国に影響を与え続ける「韓流」の中に韓国の知的活動を代表する最高レベルの純文学作品が含まれていないことに気付くだろう。

1949年以降、中国で翻訳された韓国文学は主に弱小民族、抗日民族主義、無産階級に関するものに集中してきた。92年の中韓国交正常化で両国の大規模な民間文化交流が復活し、商機をうかがう中国の一部出版業者は韓国の大衆文学を大量に紹介した。さらにネット上の「青春小説」も中国人が韓国文学について知る重要な窓口となったが、問題はこうしたものが「本物の文学作品」とはみなされにくいことだ。近年、中国で翻訳版がよく見られる作家と言えばノーベル文学賞受賞が期待された高銀(コ・ウン)氏だが、同氏もノーベル賞がなければこれほどの待遇を受けなかっただろう。

自国の文学作品を海外で広めようとする場合、翻訳は欠かせない要素だ。実際、韓国もこれに並々ならぬ力を注ぎ、80年代初めごろには政府や大企業などが文学作品の翻訳に対する経済的支援を始めた。その後、さまざまな状況を経て2001年には韓国文学翻訳院(韓国文化体育観光部に所属)が成立。しかし、韓国文学の国際化の過程には「回り道」もあり、同院院長は06年に受けた取材で欧米の言語への翻訳に重点を置き続けてきたことに反省の弁を述べている。

こうしたミスに気付いたとは言え、状況を短期間で変えるのはたやすいことではない。文学作品の翻訳には言語の理解に加え、外国語に対する鋭い語感も必要になってくる。現在、中韓問わず、広く名の知られる韓国語の翻訳家はほとんどいないだろう。この状況は日本の作品と比べるとより明らかで、川端康成氏には葉渭渠(イエ・ウェイチュー)氏、村上春樹氏には林少華(リン・シャオホア)氏、大江健三郎氏には許金龍(シュー・ジンロン)氏というように、日本の作家には「専属」の翻訳家がいるように見える。これら翻訳家は自身の翻訳を通して作家のもう一つの声となり、中国語という形で作品に新たな命を与えるのだ。(翻訳・編集/野谷

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