「歴史は大事だ、しかし…」=日本語教師の言葉を当時は詭弁だと思っていた―中国人学生

日本僑報社    2017年7月30日(日) 13時0分

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語学学習のきっかけは人それぞれだが、思わぬ縁もある。常州大学の許楚翹さんは偶然、日本語を学ぶことになったいきさつと、日本語教師から受けた影響について、作文につづっている。資料写真。

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語学学習のきっかけは人それぞれだが、思わぬ縁もある。常州大学の許楚翹さんは偶然、日本語を学ぶことになったいきさつと、日本語教師から受けた影響について、作文に次のようにつづっている。

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私と人生初めての日本語教師との出会いは、中学3年生の夏休みだった。あの時、私はただ新しい言語を学びたいだけ、でも具体的にどの言語を学びたいか自分でも分からなかった。母のお陰で語学学校に入った。最初はフランス語の授業を試したが、なかなか私の興味は深くならなかった。

授業が終わった日、私の母は学校の責任者に、私がフランス語に興味を持てないと相談していた。その時、偶然資料を取りに来た先生が、まっすぐに私のところに来てこう言った。「じゃ日本語を試したらどうですか」。その先生は、背が低くて浅黒く日焼けした肌の男性であった。年齢も若く、なんだか私と変わらないように見えた。彼のものすごく優しい雰囲気に私は、つい「はい」と答えてしまった。

私と日本語の縁は、この瞬間から始まった。先生自身も学生で、近くにある大学の日本語学科の大学院生だった。彼は中国人だが、東京で生まれた。そして中国で小学校や中学校を卒業して、日本で大学を卒業した後、中国の大学で大学院生となった。私は彼の生きてきた道を想像するだけで胸が苦しくなった。

第1回目の授業の時、彼は私たちに「日本に対してどのような印象があるかな」と尋ねた。その時、私だけでなく、5人のクラスメート全員もあまりいい印象がないと答えた。私も彼らも個人的には日本との接点もトラブルもなかったが、小さい頃からの教育の中で、日本という国に対してあまりいい印象が残っていなかった。

先生はこう言った。「確かに昔の戦争は悲しいと思う。私たちは子どもの時からずっと歴史を忘れまいという教育を受けてきた。確かに歴史は大事だ。しかし、ずっと後ろを見て、前に進まないのはもっと酷いこととは思わないか。多くの国や民族が集まって、互いに知識を分ち合い、相手の良いところを学ぶことこそ人類社会の進歩の鍵だ。一つの国や民族に対しての認識は、多方面から証明しなければならない。短所も長所も認識する必要がある」。

中3の私にはこの言葉の意味は深く理解できなかった。正直に言えば、私たちに日本語を真剣に学ばせるための詭弁(きべん)だとも思えた。しかし、日本語に対しての理解が深くなるに連れて、私は自分の考えがどれだけ浅薄だったかと認識した。

大学に進学する時に、私は迷わずに日本語学科を選んだ。母はまた私の意志を尊重してくれた。しかし、保守的な父は、物凄く怒っていた。しばらくは口もきいてくれなかった。中国で日本語を学ぶ学生の状況は本当に厳しい。母が父をなだめてくれたお陰で、私は今この文章を日本語で書く事ができている。

確かに私が大学に入学してからも、日中関係は厳しいことばかり起こった。しかし私は、歴史を振り返るばかりではよくないと思う。昔を気にして、前を向かないのはかなり愚昧(ぐまい)な行為だ。「ある物事を認識するのは多方面から理性的に理解せねばならない。これは人に対しても、国に対しても同じ」と、私は日本語を学んで理解できた。

現在、私は日本の様々な物事に深く興味を感じている。日本語の美への表現は一言や二言では述べられない。例えば私は日本の伝統色というサイトの中で、色の伝統的な呼び方を知った。露草は空のような青色で、千歳緑は普通の緑と違って更に穏やかな感じがする色だ。物凄く綺麗な呼び方に私は夢中になっている。今の私にとって日本文化は、学べば学ぶほど面白い。私の視野をこのように広げた人は紛れもなく、私の初めての日本語の先生だ。(編集/北田

※本文は、第十二回中国人の日本語作文コンクール受賞作品集「訪日中国人『爆買い』以外にできること」(段躍中編、日本僑報社、2016年)より、許楚翹さん(常州大学)の作品「あの時初めて出会った日本語教師に感謝!」を編集したものです。文中の表現は基本的に原文のまま記載しています。なお、作文は日本僑報社の許可を得て掲載しています。

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