「絵を通して日中文化交流を促進したい」=奮闘する中国出身の画家―中国メディア

人民網日本語版    2017年1月17日(火) 15時20分

拡大

中国出身の画家・曽勤さんは群馬県高崎市に住み、家の庭には、実がなったヤマモモや100種類以上の花が植えられており、生活を存分に楽しんでいる。時間ができると花の世話をするという曽さんの作品に一番よく登場するのが「花」だ。

(1 / 2 枚)

中国出身の画家・曽勤(そうきん)さんは群馬県高崎市に住み、家の庭には、実がなったヤマモモや100種類以上の花が植えられており、生活を存分に楽しんでいる。時間ができると花の世話をするという曽さんの作品に一番よく登場するのが「花」だ。(文:楊野 季科宇 趙香妹。重慶晨報掲載)

その他の写真

◆画家の娘でも元々は絵がきらい

曽さんの父親は水墨画を得意とする著名な画家・曽令富さんで、子供のころから絵の手ほどきを受けてきた。しかし、「子どもの頃は画家になりたかったわけではない」という曽さん。1987年に大学入試を受けたものの失敗し、四川美術学院の試験対策クラスで学ぶようになった。そのクラスで、曽さんは一生懸命基礎から勉強し、最終的に四川美術学院に入学することができた。しかし、専攻したのは絵画ではなく、アパレルデザインだった。

◆日本に留学し日本画と中国画を融合

同学院2年の時、曽さんは「退学して、日本に行って美術を学ぶ」という決定をし、周囲を驚かせた。「当時、美術デザインの分野で、日本にはたくさんの最先端技術があると知り、日本に行って見聞を広めたいと思った」と説明する曽さんは1992年1月に群馬県の語学学校に入り、2年間日本語を学んだ。そして、高崎芸術短期大学に入学し、デザインを学ぶようになった。

その過程で、曽さんは、日本画の巨匠・片岡球子の弟子である新公子さんに出会い、日本伝統の岩彩画を学ぶ機会に恵まれた。曽さんは取材に対して、「岩彩画は中国の細密画・工筆重彩とよく似ており、その豊かな色彩、東洋と西洋を一体化させた絵画スタイルに、私は虜になった」と説明した。

◆銀座の画廊で個展企画

曽さんが日本に留学して間もない94年、妹の曽黎さんも銀行を辞めて、日本に留学した。曽黎さんは子供のころから、蝶の絵を得意とする中国の有名画家・万鐘氏の絵に学び、その絵は絶品と称されてきた。

そんな二人は95年、高崎市の「高崎ステーションギャラリー」で、「曽令富個展」を企画。長い画家人生を送る曽令富さんにとって、初海外個展となった。

2004年、今度はランクを上げて東京銀座・鳩居堂画廊にて「曽令富個展」を企画。同画廊で個展を開催した外国人は曽令富さんが初めてだった。

◆絵を通して日中文化交流促進を願う

そして、15年、同じく鳩居堂画廊で、今度は曽勤さんの人生で初となる「曽勤個展」を開催した。会場では、バイオリニストが演奏する中、曽さんが巨大パネルに絵を描き、多くの来場者の間で好評を博した。

一人でも多くの日本の若者に中国の水墨画や中国の文化を知ってもらおうと、曽さんは07年から、高崎市の公民館や小学校で、中国の水墨画を教えている。現在、小学生から80代の高齢者までの日本人100人以上が、曽さんに中国の水墨画を習っている。「命に対する尊重、愛や平和の追求などを表現している私の作品を見て、さまざまな国の人が共感を覚えてくれることを願っている。そして、日中両国の国民の相互理解を促進し、水墨画と日本画の融合のように、美しくなごやかになるようにしたい」と曽さん。(提供/人民網日本語版・編集KN)

この記事のコメントを見る

ピックアップ



   

we`re

RecordChina

お問い合わせ

Record China・記事へのご意見・お問い合わせはこちら

お問い合わせ

業務提携

Record Chinaへの業務提携に関するお問い合わせはこちら

業務提携