東日本大震災で被災した中国人4人、日本人の「命の恩人」と感動の再会―中国メディア

配信日時:2016年11月29日(火) 13時0分
東日本大震災で被災した中国人、日本人の「命の恩人」と感動の再会
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2011年3月11日、マグニチュード 9.0の東日本大震災が発生し、巨大津波が宮城県石巻市を襲った。当時、同市にいた研修生106人は全員無事だった。
2011年3月11日、マグニチュード 9.0の東日本大震災が発生し、巨大津波が宮城県石巻市を襲った。当時、同市にいた中国人研修生106人は全員無事だった。温州都市報が伝えた。

地震発生時、石巻市で働いていた中国人研修生4人を守った和田佳一さんや鈴木正敏さんらがこのほど、海を渡ってはるばる浙江省温州市を訪問し、約5年ぶりに「我が子」と再会した。和田さんは、「私は研修生を我が子のように見ていた。我が子がはるか遠い地で働いているなら、ちゃんと世話してもらえることを願っている」と「親心」を語る。

当時、包麗娟さん、李勝利さん、李楽菲さん、包松敏さん、ジャン嬌嬌さんは、研修生として石巻市の大興水産で働いていた。地震発生時、包松敏さんは帰国中だったため被災することはなかったが、他の4人は被災した。包麗娟さん、李勝利さん、ジャン嬌嬌さんの3人は勤務中で、李楽菲さんは体調を崩していたため寮にいた。包麗娟さんによると、「地震が発生し、会社の機械が倒れてきた。私が機械の下にうずくまっていたら、同僚が助けてくれた。外では警報が鳴り、ラジオでは津波が来るため、すぐに逃げるよう警告が出されていた」。大興水産の工場長である和田さんは3人を見つけ出し、避難する準備をしていた。しかし、李楽菲さんがまだ寮にいたため、李勝利さんと包麗娟さんが迎えに行き、会社に連れて来た。

和田さんは、「車に4人を乗せて、高台にあって安全な私の家に向かった。でも、道路の信号がすべて作動しておらず、大渋滞となっていた。だから、4人を連れて車を走らせ、ビルの3階に避難した。それでも心配だったので、山に逃げた。他の人たちと同じく、私たちも木を切って火を焚いて暖をとり、その夜を過ごした。翌日早朝、4人と共に山から下り、避難場所を見つけることができ、安心して帰宅できた」と振り返る。

今回の温州市訪問を通して、和田さんは、「大地震発生後、温州市や上海からはたくさんの支援物資が送られてきたため、研修生に感謝の気持ちを伝えたい」「大興水産はこれまでに研修生120人以上を受け入れており、研修生は帰国前にいつも『温州市に遊びに来て』と言ってくれるため、その約束を果たしたい」「以前、大興水産で働いていた従業員が毎年親睦会を開催しているため、研修生を招待したい」という。また、和田さんは研修生にお箸をプレゼントし、「日本語では、『箸』と『橋』は発音が同じ。研修生との間にある思いが永遠に続くことを願っている」と語った。(提供/人民網日本語版・編集KN)
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